■蟲師12眇の魚s桑畑絹子c桜井弘明dそーとめこういちろうg加々美高浩中村章子色彩設計西尾梨香

毎回毎回、驚くべき質の高さだなあ。物語、着想、雰囲気、静謐な画面、寡黙で雄弁な演出、自然や生活や呼吸の音演出、ゆったりとしたポイントを抑えた動き、土井美佳のドスの効いた抑制された声など、いろんな面でもう、絶賛するしかないじゃないですか。
誉めてばかりいて、自分がバカになんじゃないかと疑ってしまうな。バカですけどね。
今回は、まれびと、ギンコさんの、この世に初めて存在した瞬間を、ギンコ自らすら知り得ない神の視点で語った物語。
ギンコの誕生は、いわば神話の闇の彼方にふっと置かれたカンジなのでした。


ヌイが闇に食われた後、ヌイに手を引かれて歩いていくヨキにヌイが言うセリフなんて、そのまんま神話にありそうな状況ですよね。
「さあ、この先は片目を閉じておゆき。一つはギンコにくれてやれ。常闇から抜け出す為に。だが、もう一つは固く閉じろ。また光を見る為に。」


樹木の下からはい出る、濃厚で孤独な闇の気配と、光り輝く池、白い魚、白い髪の毛、月の対比が印象に残ります。


しかし、この話も、目からなにかが湧き出てくるとう状況を描いていて、生命の本質らしきものを描く象徴として、目とか、そういう感覚器官はフィットしやすいってことでしょうか。
目はどこか知らない世界に続くトンネルなんでしょうかね。



◇以下メモ。
・ヨキと行商のお母さん。崖崩れで消えたお母さんは、もうだれも覚えていない。
・黙ってうなだれて、涙もでないヨキの横を、生命の光が飛んでいく。
・それをうつつに思い出して、騒ぐでなく、嗚咽するヨキがとてもけなげ。


ぶっきらぼうなドスの聞いた土井美佳声のヌイと、素直な少年のやりとりが、とってもいい。毒キノコのくだりとか。


・「とこやみ」という蟲について。
「なあ、ヨキ、夜道を歩いているとな、さっきまで道を照らしていた月が急に見えなくなったり星が消えたりして方向がわからなくなるときがある。」「さらに自分の名前や過去のことも思い出せなくなっているようなら、それは常闇がそばに来ているためだ。どうにか、思い出せれば抜けられるという。」
ヨキ「どうしても思いだせないときは?」
「なんでもいい、すぐ思いつく名をつければいいそうだ。」
ヨキ「そんなんでいいの?」
「そのかわり前のことは思い出せなくなるそうだけどね。」


・ヌイのすむ庵のそばの池の中に、片目の魚しかいないのは、「そういうものだ」と説明されていたのに、目の前で片目の魚の目から、闇がにじみ出てきて光の中に消えていくのを見て、詰め寄るヨキ。「消えるのではない。ギンコの放つ光が、生き物を常闇にかえるのだ。」


・大蛇のように常闇のそこの底に、ゆったりと沈んでいく、光り輝く蟲のギンコ。


蟲師について
「恐れや怒りに惑わされてはいけない。ただ、それぞれがあるようにあるだけだ。逃げられるモノからは、知恵ある我々が逃げればいい。蟲師とはずっと、はるか古来からそのすべを探してきたものたちだ。」
・蟲とは、「あり方は違うが断絶された存在ではない。われわれの命の別のカタチだ。」