■UN-GO_08楽園の王〜坂口安吾「明治開化捕物帖”愚妖”」「選挙殺人事件」よりs會川昇c&d黒川智之g日下部智津子根岸宏行伊藤秀樹

◆・・・・なんだか今までのエピソードで出てこなかった登場人物と物語の仕組みが当然のように語られて混乱していたら、なんとまあ、このシリーズに先立ち、劇場版なんてものがあるんですって。グーグル先生が教えてくれました。


◇視聴者を狭めるという意味で「結末は劇場で」よりもTVアニメーションシリーズとしては、商売上手とは言えない気が・・・(「結末は劇場で」は、商売としてはいいのかもしれないが、TVシリーズを追ってきたヒトビトの大部分を切り捨てるという意味で最悪。)。その49分の劇場版は(私は)きっと見る機会はないと思われるので、ここ数回の展開はモヤモヤのまま放置するしかない。(ていうか、コレがシリーズの収束のコアだったりした日にや・・・)


◆それはともかく、話は、完全に脳内での物語というのではなく、刑務所内の囚人達という現実に駆動している存在があり、その「事実」のうえの被さった「仮想物語」という展開。その仮想が何によってもたらされているかは、以下のような短いセリフでしか説明されないので説得力がなく、個人的には悲しいカンジが・・・・


◆◆以下メモ◆◆
「大野妙心の事件に似ている。新興宗教の教祖が信者を殺害した。・・。信者は大野の言葉を全て現実だと錯覚し、何も映っていないビデオにも大野に言われたとおりの映像を見た。大野は自分の言葉を現実に見せる力をもっていた・・・」(警察のヒト)
「あれは別天王(べってんのう)の力だ。・・・」(因果)
「大野の団体の教祖、別天王か?」(警察のヒト)
「別天王は神だ。あいつは人のコトバを現実にする・・・・」(因果)

■UN-GO_07ハクチュウム〜坂口安吾「明治開化安吾捕物帖”愚妖”」「白痴」よりs會川昇c増井壮一d清水久敏g小平佳幸長谷部敦志

◆水着の女の子が逃げまどうという程に、B級な映画を撮影している物語世界で意識を回復した主人公結城新十郎。物語で自分に振られた「映画のカメラマン」という役割を違和感を抱きつつ果たしていくが、根本には「真実を全て明かさなければならない」という強迫観念があると感じている。そしてその世界では戦争は遙か昔であり、街を埋め尽くす廃墟も映画のセットとして処理される。そこに殺人事件が起きる・・・・という展開。


「この現場には謎がある。謎は解かれる。真実は・・・暴かれなければならない。・・・・・戦争は、なかった・・・」(新十郎)



◇前回の、自称作家の囚人による「この世界の成り立ち」に対する疑義提示をうけての展開。「物語」があり、それこそが「真実」を規定する。ここでは、「映画撮影ロケにおける監督殺人事件という物語」の中で、廃墟はセット、戦争の影は映画のプロットなのだと解釈される。


◆・・・・が、無理があるなあ。B級映画に廃墟の大規模セット。ここに、お話の仕掛けがあるのかも。


◇タイトルどおり全てを白昼夢として結末をつけるのか、あるいは物語が現実を侵蝕していく方向にするのか、あるいはもっと合理的に電脳空間でのお芝居だとするのか。。。。(Aパート最後の映画監督がもっているコンピュータ端末に新十郎や監督、女優達がプロットされて表示されていたり、PCの画面にカザモリが割り込んできたりするので、最後のセンが濃い気が・・・)


◆ところで、このシリーズのテーマ的には、劇中、女優3人の対話がきっと重要。
「台本、最後まで書かれていないので、私達はどこかにいくんですか?って(監督に)聞いたんです。」(女優A)
「そしたら、「お前達は、どこにもいけない罪人なんだ。」って。」(女優B)
「(・・・)私達は誰で、どこから来たかも明かされず、どこにもいけないままだなんて・・・・」(女優C)


・戦争が終わったと聞いて女優達がしゃべるとされるシナリオのセリフ。
「こんなセリフがあるんです。戦争なんておもちゃじゃない。私ばかりじゃない。あなたも、・・あなたも、・・・戦争をおもちゃにしていたのよ。」(女優A)
「もっと戦争をしゃぶってやればよかった。もっとへとへとになるまで戦争にからみついてやればよかった。」(女優B)


・上記セリフの三者三様の反応とされるもの。
「あの・・・私、戦争が終われば日常が戻ってきて、よかったなって思うんじゃないかと思うんですね。だから、気になって監督に意味を聞きたかったんですけど・・・」(女優A)
「ちがうよ!日常なんて何の意味もない。戦争があってただ逃げ回って、その中で私達はさ、やっと生きている、って知るんじゃないのかな?生きること、生き残ることしか考えられない獣のような存在になって・・・(・・・)そんなギリギリのところで生きてみたいっていうか、退屈な日常がずっと続くなんてイヤだって・・・」(女優C)
「私はちょっとちがうかな・・・。(・・・)私は戦争で私達がみんな裁かれるのかなって。(・・・)いい人も悪い人も同じように死ぬでしょう?私達が罪人ってそういう意味じゃないでしょうか?」(女優B)



「(・・・)ありもしない(この映画の)戦争のなかで、私達は何のために逃げるの?」(女優C)
「それは、自分たちの日常、ありふれた平凡な毎日がどんなに大切かって知ることができるから・・・」(女優A)
「そうじゃない、みんな本当は願っている。戦争じゃなくても、何かすごいことがおきて今の自分が変われる・・・、本当に大切なものを見つけることができるって・・・。」(女優C)
「でも例えば火山の噴火や大火事で家族や家を失った人は、日常を取り戻したいと願う・・・ね?」(女優A)
「けど・・・火山や家事を見物にいくひとはいる。すごく悲しいことだとわかっていても、私達は世界を・・自分を・・滅茶苦茶にするものを望んでいる。・・・だから、それは裁かれなければいけないんじゃないかしら・・・」(女優B)

■UN-GO_06あまりにも簡単な暗号〜坂口安吾「アンゴウ」より〜s會川昇c五十嵐卓哉d中村里美g出雲誉明小森高博

・監督:水島精二
・ストーリー・脚本:會川昇


◆このシリーズは、正直、古くさい探偵小説の結構であり、「無理矢理な推理遊びのための人工的な現実の突き合わせ」という印象が強く、ひいきにしている會川シナリオでもちょと乗り切れない気分がしていた。


◇しかし、この回の最終盤の展開を見ると、「名探偵もの」「物語の構造」をメタ化する視点が強烈にフロントに出てきています。これはシリーズ後半への期待大!


◆そもそも、海勝麟六という、「事実」を歪めて「現実(物語)」を作る男と、「事実」を明かして「現実(物語)」を壊す男の対決というこれまでの、この物語の構図は、劇中の「現実(物語)」を巡る闘争だともいえる。ここでは、「現実(物語)」は揺らぐが「事実」だけは確かなものだ。


◇しかし、事態はいっそ逆で「事実」そのものが揺らいでいるものだとしたら?「現実(物語)」が「事実」を規定するものとしたら?


◇これが海勝の行動原理なのだろうと思うのだけれども、その思想こそが劇中の物語をしばる世界律だったりすると俄然、話が大きくなる。名探偵の存在についての疑問は、結構使い古されたネタの様な気がするのだけども、どう料理するのでしょうか!


◆◆以下メモ◆◆
「私は小説を書く。ペンでではない、この現実でだ。・・・名探偵の推理により、全ての謎は明かされ、矢島は自分の妻を殺すはずだった・・・。」(自称小説家の囚人)
「なんのためにそんなことを・・・?」(結城新十郎)
「それが名探偵というものの、役割だからだ。・・・どんな冷酷な結果になろうとも、全ての被害者が殺された後に推理を終えるのが名探偵だ。・・・どんな悲劇的な理由があろうとも、全て白日の下に晒すのが名探偵だ。・・・君は私に選ばれたのだ、この世界最後の名探偵として!」(自称小説家の囚人)

■機動戦士ガンダムAGE_01救世主ガンダムs日野晃博c&d山口晋キャラg千葉道徳メカg大塚健

・ストーリー・シリーズ構成:日野晃博
・監督:山口晋


◆「ヒトサマの商売にケチをつけるのもいかがなものか」と、(作品の現在、行く末とは別に)真っ先に思ったのだけれども、「これはヒドイ」と言いたくて仕方が無くて。・・・・以下、ごめんなさい。完全に全否定ですよう。誰も読まないでぇ。


◆(どれも私には納得がいかなかったが)00にせよ、SEEDにせよ、Xにせよ、Wにせよ、完全に壊れたGにしたって、最低限のリアリティがあり、監督やシナリオの「作家性」「独自性」があった。ところが、これは一体・・・・・・・一挙に、底が抜けたカンジだ。ある意味画期的だよね。


◆どうやらバンダイやチーフガンダムオフィサーとやらは、毎年更新される「仮面ライダー」や「戦隊もの」、日曜朝の早朝にやっている沢山の子供向け特撮、アニメーション同様、子供から金を搾り取る「金のなる木」として<だけ>の物語を求めているようではないか・・・・と強く思ってしまいました。。。。。。(別に子供からお金をとることを批判しているわけではないですよ。それはそれで強烈に必要だ!)


◆そりゃ当然だ。バンナムの株価は回復しつつあるとはいえ長期低落傾向にある。少子高齢化というおもちゃメーカーには逆境の時代、株主のために、安定してお金を稼ぎ出す「コンテンツ」をより多く作り出さなくてはならない。特にガンダム仮面ライダー並みの商売的潜在力を持ちながら、作家がことごとくぶち壊してきたコンテンツだ。歴代の社長様はさぞかし苦々しくおもっていたことでしょう。


◇それを結構大きな商売ベースに乗せるのに、SEEDでどれほど頑張ったかは知っているよ。無茶なキャラデザと、主人公の無敵物語には共感できなかったが、それにも関わらず監督とシナリオはそれなりの作家性を発揮していたと思う。00も後半は見るに堪えなかったが、「テロリスト集団が主人公」「テロで地上世界の統一」という独自性ありまくりのメインプロットが突き抜けていてそれなりに好ましかった。


◇これらは、キャラクター的、物語的に、大きな商売につなげようと言う「デフォルメ」を強烈に受けていながら、まだ作家性があった。(成功したかは別かも。。。)


◇それもこれも、最低限の「物語的リアリティ(納得性、あるいは「不自然なところを説明しようという製作者の意欲、努力」)」があったからだ。


◆ところが、これはどうだろう。冒頭でも述べたとおり「底が抜けた」


◇別に「伝説の戦士」でもいいさ。・・・ていうか、「救世主ガンダム」、永続する一族に伝わる秘密の伝説兵器・・・・・・面白くなりそうではないですか!!・・・14歳が軍に自由に出入りし、秘密兵器を開発している・・・・これも語り方によっては納得できるように持って行けるだろう。


◇・・・だけれども、そういう「無茶な語り」にはひと工夫が必要だ。スポンサー様のムチャな要請に対して徹底的に考えて、理屈をひねり出す、物語をでっち上げる、語り口を工夫する、見せ方を工夫する。・・・・・・それがいろいろなヒトが作ってきた数々の物語に共通する、今までの「ガンダム」の本質的アイデンティティだったんじゃないかな。(そしてそれ故、商売的な大勝ちができなかったわけでもあるのかな。。。。)


◆まず、その足掻く姿勢がまったく!カケラも見えないところに、この第一話に対する私の大拒絶反応が発動してしまいました。。。。。。(しかし、この開き直りこそがこの商売の勘所なのかもしれないよ・・・・)


◇それらは、ひょっとしてこれから語られるのかもしれない。第一話は敢えてすっとばしているのかもしれない。そうだったらごめんなさい!!


◆・・・・ところで、(話はそれるが)実はそれ以上に気になっているのがキャラクターデザインと性格造形だったりする。


◇この変な骨格の博士!おお、・・・・もう・・・もう、これだけで、この世界の納得性がガラガラと崩れ去ったような・・・・・。一撃だよ。実は、私にとって、これが一番致命的かもしれない。


◇また、子供の児童漫画的なデフォルメも、余りに考え無しにありふれた性格造形もダメかも。。。。。。おかしいねえ。不思議だねえ。。。。

■Dororonえん魔くんメーラめら11あたしには関わりのないことでござんすs米たにヨシトモc佐山聖子d原田奈々g清水明日香

監督・シリーズ構成:米たにヨシトモ
原作:永井豪


◆このシリーズはかなり好き。永井豪のギャグものらしい天真爛漫な子供っぽいテンションを、テンポの良い画面と音で切れ味よく演出。


◇一見、「子供っぽい」の一言で片づけてしまいそうになるが、再現(或いは模造)されている小学生(が好きそうな)感性の構築が高度に成功していて、毎回とても癒される。小学生男子的なエロ妄想、女性観、怠惰願望、包まれて狭い世界認識と楽観、そしてその限界。(ツボをつかれてしまった私は小学生並みってことだよねえ・・・・)


◇ただ、内容は一瞬で忘れる。徹底して子供っぽくて、ばかげていて、テキトーで、意味がなく、自由連想のように話が転がる。だけど、なによりも登場人物全員が野原を走り回って遊ぶ子供みたいで、とっても楽しそうじゃない?


◇米たに監督作詞のエンディングからも、これらがこの作品の意図したコンセプトなのがわかる。非常に成功している。


◆・・・・と思ってみていたら、あくまでテキトーを貫きながら、この回で一挙に神話的で非情な世界構造を持ち込む豪腕。永井豪っぽいと思えるがこれは原作どおりなのかしら?


◇これで、これまでの主人公達の極端な子供っぽさが、子供ゆえの残酷さとして結実し、物語の動機として俄然生きてくるのでした。・・・・だがしかし、話はテキトー。ここが実に素晴らしい。

■電波女と青春男_09地域限定宇宙人事件sc&d板村智幸g潮月一也高野晃久谷川亮介

原作:入間人間
シリーズデレクター:宮本幸裕
シリーズ構成:脚本:綾奈ゆにこ
総監督:新房昭之


◆恐るべし。・・・原作を読んでいないので、原作がすごいのか、シナリオがすごいのか、監督がすごいのか(人物仕草をつけるコンテか、作画監督か、原画か)、それぞれの相乗効果がすごいのか、わからないのだけれども、1話からこの回までに限定すれば、ある種の極北に達していると思った。


◆シリーズ当初は、真性の統合失調な女の子を描写しているように見え、なんという製作陣の冒険心とびっくりしたものだけれども、3話ぐらいからフツーなコミュニケーション可能のセカイに回帰して個人的には実はすごくガッカリした。


◇3話ぐらいから、当初の統合失調風なコミュニケート不可能なヒロイン美少女は、コミュニケーション可能な風変わりな引きこもりとしてのみ描写されるようになるのだ。


◆しかし、だ。この段階以降では、そのように育ててしまった母親(40歳)が、あっけらかんとした無邪気な幼女の様に描写される様に戦慄することになる。・・・・・第一、これを見て誰が喜ぶのか不明だし、何よりも、極端な精神的な弱さ持つ子供を育てて、誰も責めず、責められず、怨念も、ねっとりとした情念もなく、カラリと乾いている現代ネット的で様式的なセリフが交錯する様に、何かの不気味な不在を感じる。


◇この母親に象徴されるようにキャラクター達は、絶対的に置かれた物語的な関係性をほぼ形骸化して「ただ存在」している。キャラ達の関係は、作者、視聴者にとって都合の良い妄想的なものなのだ。


◆だけど、この「ただ存在している」描写がすごい。


◇この物語は基本的には「主人公高校生男子がまわりの風変わりな美少女達(40歳のおばさん含む)に好かれてアプローチしまくられる」という構造だ。言ってしまえば、妄想爆発のハーレムアニメーションだよ。普通に作ると、こんなのダメ萌えアニメにしかならないじゃん!


◇・・・なのに、毎回毎回、柱となる大きめな物語もないところを、精妙にかつ人工的に構築された不自然な「可愛らしい」対話の積み重ね、それと密接に関連する存在感のある「可愛らしい」仕草作画、描き込まれた「可愛らしい」止め絵作画で、しのいでいく。


◇特に「人工的に構築された不自然な「可愛らしい」対話の積み重ね」が素晴らしいのですよう。小説的な文体で構成する対話が効いている気もするが、近年稀に見る不思議なテイスト萌えアニメ


・・・まあ、結局は萌えアニメなんだけれども。


◆新房監督は、画面演出にしか興味がなく、物語には興味がない・・・というか節操がないけれども、しかしキチンとビジネスベースに乗せた上で面白いモノを作る、その手腕はすごいなあ。。。

「C」_04Conversions-転換-s高木登c寺東克己d大野和寿g渡辺奈月中谷友紀子

シリーズ構成:高木登
監督:中村健治


◆「特異な異世界空間(劇中「金融街」と呼ばれている。)におけるポケモン的な代理戦争もの」というルックはしているが、その代理戦争は現代の苛烈な経済競争のアナロジーであり、異世界での経済的対決に負けたモノは、実人生でもその負けの程度に応じた経済的代償が待っている・・・・という実は非常にオリジナリティの高い挑戦的な物語。


◇わたしなどは、近年猖獗を極めている代理戦争バトル的な表現に非常に興ざめして引いてみていたのだけれども、この回の敗北者の現実での代償、未来の喪失について非常に不意を突かれて興味を覚えた。


◇考えてみれば、子供は未来への投資なんだよね。戦いに敗れて、そのことが静かな諦念とともに浮上してくるあたりがヨカッタ。


◆ただし、私としては、「アセット」、つまり資産とよばれるパートナー妖精?のキャラとしての雑な存在感は違和感が残る。しかし、これはきっと視聴者に対するフックであり、最終的に製作者が語りたいものを語ってくれるであろうと期待が盛り上がってきたのでした。


◇ちなみに私は、実際劇中で行われている「経済的戦闘」がどのようなものか、何が行われているのか、ぜんっぜん!理解できないのだけど、アセットは株を持っていたりとか、戦いの最中で観戦者が戦闘中の人間の株を買ったりとか、現実のアナロジーとして結構作り込まれている気はした。