■UN-GO_07ハクチュウム〜坂口安吾「明治開化安吾捕物帖”愚妖”」「白痴」よりs會川昇c増井壮一d清水久敏g小平佳幸長谷部敦志

◆水着の女の子が逃げまどうという程に、B級な映画を撮影している物語世界で意識を回復した主人公結城新十郎。物語で自分に振られた「映画のカメラマン」という役割を違和感を抱きつつ果たしていくが、根本には「真実を全て明かさなければならない」という強迫観念があると感じている。そしてその世界では戦争は遙か昔であり、街を埋め尽くす廃墟も映画のセットとして処理される。そこに殺人事件が起きる・・・・という展開。


「この現場には謎がある。謎は解かれる。真実は・・・暴かれなければならない。・・・・・戦争は、なかった・・・」(新十郎)



◇前回の、自称作家の囚人による「この世界の成り立ち」に対する疑義提示をうけての展開。「物語」があり、それこそが「真実」を規定する。ここでは、「映画撮影ロケにおける監督殺人事件という物語」の中で、廃墟はセット、戦争の影は映画のプロットなのだと解釈される。


◆・・・・が、無理があるなあ。B級映画に廃墟の大規模セット。ここに、お話の仕掛けがあるのかも。


◇タイトルどおり全てを白昼夢として結末をつけるのか、あるいは物語が現実を侵蝕していく方向にするのか、あるいはもっと合理的に電脳空間でのお芝居だとするのか。。。。(Aパート最後の映画監督がもっているコンピュータ端末に新十郎や監督、女優達がプロットされて表示されていたり、PCの画面にカザモリが割り込んできたりするので、最後のセンが濃い気が・・・)


◆ところで、このシリーズのテーマ的には、劇中、女優3人の対話がきっと重要。
「台本、最後まで書かれていないので、私達はどこかにいくんですか?って(監督に)聞いたんです。」(女優A)
「そしたら、「お前達は、どこにもいけない罪人なんだ。」って。」(女優B)
「(・・・)私達は誰で、どこから来たかも明かされず、どこにもいけないままだなんて・・・・」(女優C)


・戦争が終わったと聞いて女優達がしゃべるとされるシナリオのセリフ。
「こんなセリフがあるんです。戦争なんておもちゃじゃない。私ばかりじゃない。あなたも、・・あなたも、・・・戦争をおもちゃにしていたのよ。」(女優A)
「もっと戦争をしゃぶってやればよかった。もっとへとへとになるまで戦争にからみついてやればよかった。」(女優B)


・上記セリフの三者三様の反応とされるもの。
「あの・・・私、戦争が終われば日常が戻ってきて、よかったなって思うんじゃないかと思うんですね。だから、気になって監督に意味を聞きたかったんですけど・・・」(女優A)
「ちがうよ!日常なんて何の意味もない。戦争があってただ逃げ回って、その中で私達はさ、やっと生きている、って知るんじゃないのかな?生きること、生き残ることしか考えられない獣のような存在になって・・・(・・・)そんなギリギリのところで生きてみたいっていうか、退屈な日常がずっと続くなんてイヤだって・・・」(女優C)
「私はちょっとちがうかな・・・。(・・・)私は戦争で私達がみんな裁かれるのかなって。(・・・)いい人も悪い人も同じように死ぬでしょう?私達が罪人ってそういう意味じゃないでしょうか?」(女優B)



「(・・・)ありもしない(この映画の)戦争のなかで、私達は何のために逃げるの?」(女優C)
「それは、自分たちの日常、ありふれた平凡な毎日がどんなに大切かって知ることができるから・・・」(女優A)
「そうじゃない、みんな本当は願っている。戦争じゃなくても、何かすごいことがおきて今の自分が変われる・・・、本当に大切なものを見つけることができるって・・・。」(女優C)
「でも例えば火山の噴火や大火事で家族や家を失った人は、日常を取り戻したいと願う・・・ね?」(女優A)
「けど・・・火山や家事を見物にいくひとはいる。すごく悲しいことだとわかっていても、私達は世界を・・自分を・・滅茶苦茶にするものを望んでいる。・・・だから、それは裁かれなければいけないんじゃないかしら・・・」(女優B)