■エルゴプラクシー06帰還/domecomings川邊優子c寺岡厳d?g竹森由加

フーディじいさんがこの話に登場してから、たびたび彼の大事にしているモノとして描かれてきたちょっと大きめのおもちゃの兵隊・・・それは、平和なロムドの街の暮らしを思い出す大切なよすがだった・・・・・
生まれ、育った、平和で豊かなロムド市への執着。そこでヒトは暖かく護られて生きてきた。その記憶は、世界の外へ捨てられ、二度と顧みられない境遇になっても、忘れられない。だからこそ忘れられない。
ヒトはどうしようもなく、自分を捨てても生まれた世界にすがりつくものなんだ。裏切られ、二度と受け入れられないと承知していても、戻るべき処はあり、そして彼は戻り、再び捨てられた。
「・・・・・・これでよい」涙を流しながらロムド市街の全景を見てつぶやく様は泣ける。


・・・・平和な街の広場に、時を刻むおもちゃの兵隊の行進を主軸に持ってきた構成は、効いたね。毎回高度な手管を見せてくれて素晴らしい。


フーディじいさんに対置されているのが、フーディーじいさんの到達することの出来なかった、逸脱した自由へと、徐々に目覚めつつあるビンセント・ローかな。(物語の仕掛け的に、実は彼が全てを見通す存在で、目覚めつつあるんじゃなくて、無意識にせよ、意識的にせよ、そのような振りをしているってことも考えられますが)


彼は、第三話でロムド市からの外界に産み落とされ、生まれ変わりつつあるカンジでしょうか。
極限状態で、死に意識的に接することで(第三話のビンセントの独白と絶叫は非常にいい演出だった)、ロムド市での「良き市民」のみならず、外界の人々の、保護してくれる体制世界への依存を批判的に直感し、地に足をつけた自律したモーメントへと無意識に移行しつつある様子が描写されているんでしょう。
演出的には、線の細い、お役人風の風貌が、眼光に何かを宿した野性的なカンジに変化していることで表現している。
ただし、この変貌、何か一つエピソードが足りない気がして仕方がない。彼が、そのような絵的な変貌を見せる、ハードな極限状況が、もう一つ欲しかったような気がするよ。(それがリルの瀕死の状態を助けたいというキモチってことなんでしょうけど。)


◇◇以下メモ。◇
・テダルス医師は、リルの幼なじみ。子供の頃の(まだ跳ねっ返りじゃないリルの)映像を見返したりしている・・・・・やはり、恋愛感情を抱いていてって事みたいです。


・(演出的には非常に分かり難かったけど)冒頭、池の中から、サルベージュされた「うさぎ」と呼ばれる「翼船」は、フォーディじいさんが、いざとなったらと言っていたヤツなんでしょうね。


・「クィーン」と呼ばれるティモシーの母親は、外界の愚民達を引き連れて、これでロムド市の警備ポッドに闘いを挑むのでした・・・・むかついた、気にくわない、気が済まない、としか言いようがない行動かな。そして、そういう行動が似合うようなキャラクターでした。


・ビンセント・ローたちは、この「うさぎ」で終末世界を見る展開になるのかな。楽しみ。
・OPのハンサムさんは、もうビンセント確定かな。まさかとはおもっていたけど。


・フーディじいさんとピノの対話
「ねえ、フーディ。ティモシー知らない?ずっとさがしているんだけど、どこにもいないの」
「ティモシーは、・・・死んでしまったんだろ?」
「うん、そうなの。だからもう一個、ティモシーいないかなって」
「・・・・ピノ、ひとは死んでしまったら・・・もう二度と会えないモノなんだ」
「えー、そうなの?」
「・・・そう、なんだよ」:
「そうなの?もっと一緒にあそびたかったな」