■大変かも。。。。

◇正直、人間が否応無く向き合わざるを得ない<死>という現実に対して、ファンタジーもSFも逃避でしかない。夥しい死の積み重ねと、世紀末から10年遅れてやって来た<私の生きるセカイの破局>の予兆に対して、わたしは慄然と立ちつくさざるをえない。


◇日常を生きようとしても、電車に乗れば、急行も特急もやって来ない現実。ネットで検索する電車のダイヤ情報が役にたたなくなった事実。もてはやされた駅やコンビニや電車のデジタルサイネージは電源を切られ、うつろな黒い色面を晒している。スーパーでは、ぽっかりと機能しない空間が電気に照らされることもなく不気味な暗さで私に迫ってくる。


◇セカイは喪に服するように運行され、<私は>私の生きる空間の破滅に怯えている。


◇・・・そんななかで、創作は、突然浮上した現実感たっぷりの<セカイの暗い命運><死の予兆>と向き合い、意味のある何かを伝えることができるのだろうか、とふと思う。


◇(突然卑近になるのだが)このブログで私が書いている物事に限定しても、今期のTVアニメーションでこの現実に毀損されず、それでも何かを強く訴えるものはあるのだろうか。


◇私には無いとしかいいようがない。(今は)全てが空虚に意味が無く感じられてしまう。・・・それでは何が価値があり意味があるのかというと、風見鶏なテレビや新聞が善意(あるいは政治的思惑?)で流す<報道>ではないだろうし、私が思考停止してダラダラすごす日常でもない。人間を抽象化してモノとしてとらえる経済でもないし(いいや、生活する以上、経済は重要か。)、地に足がつかない哲学でもないよな。


◇(やっぱり飛躍するが)いまこそ、この薄暗い現実を更に暗く照らす創作、あるいはそれを踏まえた上で前向きなファンタジーが作られるべきだろう・・・・・・って思ったんだけれどもさ、(ネガティブな意味で)センシティブすぎますよねえ。。。。。


◇(TVアニメーションに限って言えば)とにかく、もはや、ここ数年の傾向である思想なき欲望パライスだけを描いていてはダメなんだよね。我々は破滅の予兆を知ってしまった。その前では能天気な作劇は野暮なだけなんじゃないかしら。これからの創作者、戯作者は重い十字架を背負ってしまったのだと思うよ。・・・・・・まあ、だからこそファンタジーに逃避するってのもありっちゃありか。なんだけども。