■地球へ…02ミュウの船s面出明美cつるやまおさむd柳瀬雄之g高乗陽子

◆「欠損のあるものが、唯一、正しき真実を見いだす」という、この物語の基本設定は、非常にユニークであるけれども、同時に、視聴するヒトビトに、若干の唐突感を与えるんじゃないかなあ。
ワタシは、原作冒頭を読んだ瞬間に(ユニークだけれども)物語への没入を阻害する要因だよなあ・・・と思ってしまった。だって、大多数の我々は「劇的な欠損」の無い世界に生きているもの。そして、(差別的な意味で言っているのではないのですが)それは、我々にとって、実感のこもった現代的な意味を突きつけてくるだろうか。


◆そこで、物語では、「正しき者達」の物理的、肉体的な欠損が描かれれているけれども、「物語の現代性」への補助線として、精神的な欠損を考えてみたらどうだろーかと思いました。


◇現実の世界で満ち足りて小さな不満をぶつくさ言いつつも、秩序にまかれて平穏な日々を送る大多数のヒトに対し、その平穏な秩序の世界に違和感を感じ、徹底的に異議申し立てをする少数のヒトビト。


ワタシは思うのだけれども、家族関係、進学、社会性、友人関係、或いは人間存在そのもの、人生のどこかで普通のヒトビトだったら決して悩まずにスルーしてしまう課題に、真剣に取り組み、不器用に掘り下げ、それがゆえに「通常の社会」からドロップアウトしてしまうヒトビトがいる。
普通に円満に<社会人>として社会の通常の秩序には組み込まれないが、そういった精神の欠損を持ち、突き詰めるヒトビトこそ、社会の真実にたどり着ける唯一の「選ばれたヒトビト」なのではないでしょーか。


◇また、あるいは、精神的な欠損は、円満に社会生活を送っているヒトビトにも多かれ少なかれ存在するものですし、そうした欠損こそが、問題意識を生み、社会を正しい方向へ導いていくんじゃないかな。


◆・・・そんなことを、この「地球へ…」に照射してみると、取っつきやすくなるのではないかしら、と思ってみました。


◆ところで、次回は(たぶん)オリジナル展開のようで、(実際に見ないとわかんないですが)あんまり、アタラクシア育英都市の「悪の管理社会」性が強調して描かれると、困るなあ・・・と思いました。
悪/善という単純な2分割は、物語の手法として正しいけれども、深みがない。個人的には、物語的には分かり難くなるかもしれないけれども、「管理社会」が成立している「正当性」を普通に描いてくれるといいなあと思いましたよ。


◆◆以下メモ◆◆
・ところで、フィシス、50年ぐらい生きているらしいのですが、彼女がそう告白した瞬間から、リアルタッチの絵柄も相まって、なんだか、厚化粧のおばさんに見えて仕方がなかったのは秘密です・・・・ああっ、もう。