■犬は勘定に入れません〜あるいは消えたヴィクトリア朝花瓶の謎〜sコニー・ウィリスt大森望

2004年4月15日初版発行 早川書房(ハードカバー)


◇傑作「航路」の迷路を疾走するようなドライブ感に熱中し、「ドゥームズデイ・ブック」で泣き、コニー・ウィルスの卓越した人物造形とストーリーテリングを認識していたものの、この作品、長らく積読状態になっていました。
訳者によれば「人間はおろか、猫の仔一匹死」ななくて、ヴィクトリア朝英国へのタイムトラベルというSF要素はあるものの、「ユーモア小説」?
そう、このユーモア小説というジャンルへの偏見が私にあったため、長いこと触手がうごかなかったのでした。
また、ここ数年、心がダークなモードになっていて、悲劇と軋轢なくしても物語を読む価値があるのか、という価値観に侵されているというのもある。


◇しかし、結論からいうと、まごうことなき、魅力的なストーリーテリングと人物の魅力で読ませるコニー・ウィルスの物語。
キャラクターの立った登場人物たちの応酬する実体感のある対話がとにかくおかしい。深刻な軋轢と葛藤はないけれども、「時空連続体の崩壊」を避けるために時間旅行者が起こしてしまったタイムパラドックスを何とかしようと必至に頑張り、次々に起こる予期せぬ状況に翻弄されるというプロットで、全く飽きる暇をあたえないのはさすが。一気に読みきってしまいました。


◆◆以下、ネタばれあり◆◆



◇また、このタイムパラドックスは、ヒロインが、テムズ川に放り投げられた子猫を助けたことにより、「伯爵令嬢トシーと、イニシャルCの人物との出会いを邪魔してしまった」ために起きた事態なので、人の恋路を成就させるための奮闘がメインプロットとなる。
物語内力学では、シリアスなのだけど、「人の恋路を成就させる奮闘」が、おかしくてやがて物悲しいのは定番。面白くないわけはないじゃないですか。


しかも、このタイムパラドックスが、別のもっと大きなタイムパラドックスに影響されているとわかってくる終盤の展開は、あとから前半部分を読むと周到に伏線が用意されていることがわかり、ウィルスさんの面目躍如たるものがある。



◇さて、物語の発端は、21世紀初頭に財政難から民間宗教に売り払われてしまい、さらに跡地が、マークスアンドスペンサーになってしまったというコヴェントリー大聖堂の再建計画。
これを強力に、強権的に推進する「レイディ・シュラプネル」女史の「神は細部に宿る」というこだわりにより、タイムマシンによる史学研究を実施しているオックスフォード大学の史学科のメンバーは、日夜現在と過去を行きつ戻りつして、史料をそろえていた。
なかでも女史がこだわっていたのは、タイトルになっているヴィクトリア朝の花瓶、「主教の鳥株」の確保。それは19世紀末の彼女の祖先が、人生を変えられたと日記に書かれているものだった。
しかし、それは、1940年のロンドン空襲のあるべき時に存在せず、以降行方不明になってしまっていた。
そんな状況で、ヒロインであるヴェリティが1888年の降下から溺死寸前の子猫を現代にもちかえってしまった(過去の事物の持ち帰りは、理論的に不可能とされてきた)ことから、主人公ネッドに、子猫を1888年に返すという使命がくだり、不整合を正すための奮闘がさらに不整合を広げて・・・という抱腹絶倒の物語が展開されていきます。


パート的には、1888年のヴィクトリア朝のテムズ河川下りと沿岸の屋敷でのエピソード、1940年のロンドン大空襲のコヴェントリー大聖堂の業火、現在である2057年のレイディ・シュラプネルに翻弄されている史学科研究室がメインの舞台。
これに、2018年のタイムマシン草創期の史学科研究室、1933年のオックスフォードの書店での夫人たちのミステリ談義の現場、1395年のコヴェントリー大聖堂建設の年の鐘楼などのエピソードが断続的に挿入されていきます。


◇エピソード的な嚆矢は、やはり1888年パート。
19世紀末のイギリスでポピュラーな娯楽だったというテムズ河下りでの、主人公ネッド、現地で知り合ったオックスフォードの学生テレンス、その指導教授のぺデック教授と、「勘定に」いれられていない犬のシリルによるエピソードのとぼけた味わいが素晴らしい。
「引用の連発でしか会話が進められない」性をもつ、頭のネジが飛んでいるとしか思えない、テレンスとぺデック教授ったら、もー、おかしいのなんの。


また、ネッドと偶然出会ったかと思われたテレンスがこのパラドックスの関係者であり、彼の恋慕した女性こそが、「時間を守るためイニシャルCの人物と結婚させなければならない」貴族の令嬢トシーだったりする。
そのため、トシーの館に、河下りの一同、ヴェリティなどが集結。史実通りに事態を進めたい思惑が空回りして、結婚したい/させないという騒動になっていくあたりは非常に読みごたえがあります。
なかでも、トシーに史実通りコヴェントリー訪問をして欲しいが為に、いかさま霊媒師に更にいかさまを仕掛ける降霊術のエピソードのヴェリティの勇ましさがヨカッタ。私も、ヴェリティに足を蹴られたいな。



この話、訳者の大森さんによると、1889年刊行のイギリスのヴィクトリア朝のユーモア小説「ボートの三人男」の結構を一部引用しているそうです。
また、作中の1888年パートのテムズ河下りで、この3人と一匹のボートとすれ違っていたりしていて、なんだか読みたくなってきたかも。



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◆以下、(自分の記憶の為だけ用の)完全なネタばれメモ◆
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・この作品の物語的キモとしては、現代である2057年と、1940年のロンドン空襲、1888年のテムズ河河畔を言ったりきたりするところにある。
ロンドン大空襲のある時間やある日には、「ネット」と呼ばれる航時機でどうしても「降下」できない。
最初は、他の史実的なターニングポイントへも降下できない事実もあり、「歴史的なターニングポイントには、降下できない」という時間旅行の法則的なもので、みんなが理解していたら、実は、それすらも歴史の不整合を正す為の意味あるものだったという事態が終盤で判明。(玉ねぎ構造)


・終盤、時空の齟齬を生んだ根本の原因は、最初に焦点があたった、「1888年から猫を持ち帰ったため」に、出会うべき人がであわなかったことではなく、1940年に「主教の鳥株が行方不明になった」ことだと判明。
・「1888年から猫を持ち帰ったために出会うべき人が出会わなかった」ことすら、1940年の齟齬による時空の修復作用である旨が語られる。
・「主教の鳥株」の行方不明は、2018年の若きコヴェントリー主教ビトナー夫人による、コヴェントリー大聖堂売却を防ぐ為に「焼失した歴史的遺物」を保護したいとの意図によるタイムトラベルにより発生。
・「「主教の鳥株」の奪取は、ロンドン空襲を事前に知っていた者にしか犯行ができない」と投書した教会の生花委員長ミスシャープのために、暗号機エニグマの存在がナチスに知れ、北アフリカ戦線の敗北など、おおごとになったらしい。(推測でしか語られていませんが)
・歴史の補正機能は、1940年時点でのコヴェントリー大聖堂の生花委員長であったミス・シャープの存在を抹消するために、過去に遡って、歴史を書き換えていった・・・


・この物語では、「時間の不整合の自動修復機能」に意識があるとしか思えない。ラストで、シミュレーションによれば、2678年に歴史の齟齬が最大化している年があると述べられているが(含みを残しつつ放置ですが)、この2678年の齟齬を起こした存在が、意図して歴史の修復を行っているのかな。
いずれにせよ、劇中人物たちの上位に位置する認識の世界があるってカンジが非常にします。


・この作品の開始当初は、「過去の物体は持ち帰ることはできない」という制限条件があったのですが、このエピソードで、「歴史的に意義を終えたもの」、たとえば火事で焼失したとか、そう言ったものは、持ち帰ることができることが明らかになったと語られています。レイディ・シュラプネルが手ぐすね引いている様が笑える。


・「主教の鳥株」がいまいち想像できないのだけど、レイディ・シュラプネルも、みんなで散々苦労した末に手に入れたのに、一目見て、ひどいと吐き捨てたという、その美術的存在感は、アルバート記念碑並みなんだって・・・・たとえからして、わかんないや。