■モーダルな事象〜桑潟幸一教授のスタイリッシュな生活〜s奥泉光

あー、やはり奥泉さんはいいなあ。そこはかとない、のんびり感のあり、しかし完成度の高い叙述と、ユーモラスなキャラクター、物語の堅牢な構築性など、非常に楽しめた。
こんなに面白いのに、いまいち世間で評判になっていないのは、純文学よりと思われていているからだろうか。この話もそうだが、文学的なテーマ性はむしろ希薄で、普通にエンタテイメントしてるとおもうんだけどなあ。
そもそも、テーマ的に派手さがないのがいけないのかな。


たとえば、前作「新・地底旅行」では、富士山麓に深くうがたれた地底洞穴、地の底のそこまで続くそれは、やがて宇宙創生の話にまでつながっていく・・・・・というプロットだけ聞くと、あまり魅力的に思えないかもしれないが(というか、わたしはタイトルだけで敬遠していて一年近く塩漬けになってました・・・・)、地底への道行きがもう絶賛するしかないほど堅牢で、暗闇の中を手探りでたどった末に、徐々に姿を現していくSF的巨大構造物が、こみ上げてくるように魅力的だった。
一文、一文の地道な描写、エピソードの積み重ねが、やがて重層的に響きあい、魅惑的な地底世界を浮上させていて、読んでいて、とってもたのしかったな。


さて、本作。
地底旅行もそうだったけど、駄目人間を悲しくユーモラスに描くことにかけては、奥泉さんはすばらしい。
この話は、SF風味のミステリーなんですが、むしろ力点は、ダメ人間、女子大文学部教授の桑潟幸一教授、通称クワコーの駄目さ加減をユーモアラスにシニカルに活写するところにある。
特に前半の、人並みに出世欲はあるけれども、思い切りも、野心も、世渡りもすべてに中途半端で、小さな自尊心を傷つけられたり、満たされて一喜一憂したりするさまが、すばらしすぎる。
後半は、ミステリ仕立ての物語運びで、クワコーが事件の渦中の人物として語られる側にまわっているため、ちょっとパワーダウンしているかな。


クワコーは、夢想と現実、過去と現在の境界、希望と失望の末に、無価値に価値を見出し、一介の「猫介」として、人々の噂の襞の中に消えてゆくのでした・・・・・・


ところで、物語は、文学教授業界の権力者が、日本文学集成を編するところからはじまる。太宰治が専門領域であるクワコーは、この百科事典で破格のページ数を与えられる太宰のページを執筆することができるように運動する。
とっても涙ぐましいんだこれが。
しかし、目当ての太宰は、太宰のことなど関心ないと嘯いていた新進気鋭の若手の評論家にうばわれてしまった。
失意のクワコーは、あてがわれた無名作家たちについて、ろくに作品を読みもしないのに、テキトーにもっともらしくかきとばした。
余談だが、この「テキトーにもっともらしく書く」テクニックがとても真にせまっていて、世にあふれる百科事典の項目記述のノリがなんとなくわかっちゃった気がした。気がしただけだといいんだけど。


しかし、このクワコーが執筆した中にいた無名の過去の童話作家、実作をよんだところ「くず」と断定した、この作家の作品が野心家の出版社編集者の手でベストセラーになり、その作家「唯一の研究者」として、クワコーを一躍時の人とするのでした。
そして、それは、同時にクワコーを、殺人事件、戦中の孤島での人体実験、新興宗教、あやしい夢と現が混濁する伝奇の世界へと導くのでした・・・・


◆◆以下メモ◆◆
・戦時中の永遠の命をつくるという目的のために実行された、猟奇的な犯罪を夢幻的に描写したりする手管はいつものとおり。


・わたくし、グランドミステリー以降の奥泉さんしかよんでいないんですが、「鳥類学者のファンタジア」「地底旅行」に登場する宇宙オルガンとか、前者の主人公のフォギーさんとかが登場。また、「地底旅行」の雨宮博士がこのお話のキーをしめる宗教団体の創設者への影響者として登場したりして、すくなくとも「鳥類学者のファンタジア」「地底旅行」そして本作は、リンクしたつくりになっている模様。