■仮面ライダー響鬼47語る背中s井上敏樹d坂本太郎

この回を見て、世界を語る物語になっていないのが、ワタクシの乗れないところであり、実はこの作品のキモだったのだとあらためて思った。
思い起こしてみると、29話までは、世界設定のベースラインをキチンと抑えた上で、日常の芝居が抜群に面白くて、シリーズの魅力を支えていた。脚本の関心は、日常に向いていた。
30話以降は、魅力である日常描写がガタガタになって、しかも、世界への関心も薄く、物語としての求心力もなくなっているカンジ。
路線変更するとすれば、相当の技量を必要とする日常編を切り落として、世界を語る物語にするべきだったんだよね・・・・と思ったり。


次回が最終回のようだけど、マカモウと操るモノの存在の成り立ちと行動理由はたぶん明かされまい。世界にマカモウが満ちる理由、タケシという組織が戦う理由。
その物語世界の脅威を取り除くという結末は、この浅い世界描写では出てきた方が噴飯モノです。おそらく、日常は続く・・・・という終わり方のはず、それがこの物語のテーマだったんだから。


だけど、前半には、堅実な世界設定の構築性ってちらちら見えていたと思うので、う〜ん。ダメだってことですか。


◇以下メモ。
・ここ、10話ぐらいかな?オロチという現象をクローズアップし始めてから、怪人の出現のテキトーさが気になって仕方がない。前は、マカモウがでた!出動!と言う形だったんですが、マカモウ、今や鬼の所に、物語の都合に合わせて出前出張ですよ。
それとも「鬼のいるところにマカモウが大量出現する」というのがオロチの本質か。


・そういう構造ですので、もはや社会との繋がりは完全に断絶。マカモウの暗躍も大量発生も、都市生活やヒトの暮らしに何のインパクトももたらさないない。採掘場や河原で闘いは完結してしまってマス。こういう点も世界を描く物語になっていないってことデス。


・アスムくんは、病気の少女に喜びをもたらす方が、今の自分の一生懸命さの尺度にあっていると判断。鬼の修行を休みたいとヒビキさんに告げる。う〜んそうですか。
日常編のキモである、アスムくんを物語的に半分切り捨てていながら、終盤に来てクローズアップしてものすごく中途半端。
・しかし、この作品での「修行」ってなんなんだ。弟子甘やかしすぎ。


・イブキくんの情けなさを見て、ヒビキさんは、一人オロチを鎮めることを決意。冒頭の変身せずのマカモウ退治はその決意の証しだったという演出みたいだ。しかし、前のカットまで持っていなかった棍棒、どっから出てきたんだ。


・ヒビキさんは、一人オロチ鎮めを始めるのでした。大量に出現するマカモウ。遅れて到着するイブキさんとトドロキくん。
・手下二人、自我をもって反抗を始めたって振っておきながら、何のドラマを生むことなく塵になっちゃいましたよ・・・・