■輪るピングドラム22美しい棺s幾原邦彦伊神貴世c幾原邦彦古川知宏山崎みつえ中村章子d市村徹夫g加々美高浩いしかわともみ中村章子中村深雪

・シリーズ構成・脚本:幾原邦彦伊神貴世
チーフディレクター:中村章子
・助監督:山崎みつえ
・監督:幾原邦彦


◆素晴らしい。今まで感想を書かずに実に勿体ないことをしたなあ。。。。。


◆これは、(きっと)「妄想の強度」により、「世界の結末」を奪い合う話だ。複数のメインキャラが、自分の幸福や他人の幸せを願い、それを成就するために妄想して世界に干渉(或いは撤退)する話だ。(・・・・・たぶん。私も妄想はいってます。)


◆この物語世界はメインキャラ各人の妄想により成立しているパッチワークのような世界だと思う。その時々、想いが強くなったキャラクターの支配力により物語にドライブが掛かる。そのドライブにより物語世界が動き、変容し、それに応じてメインキャラ達の想いや行動も変わり、世界の仕組みも結末も変わっていく。


◆この回で言えば、カンバの妄想、想いが極まり、テロ集団の首魁としての行動が「印象的」「抽象的」「妄想的」に描写されていく。


◇後から発生した(或いは描写された)この妄想により、カンバの今までの行動の意味が芯(ヒマリへの想い)を残して変容してしまった。


◇だけど、「妄想」「抽象」の度合いが強い、カンバの行動や言葉や認識は、きっと現実に着地せず、この物語の勝者(=最終的な語り手、視点人物)にはなれない。(「きっと何者にもなれないお前達」ってことだろーか。)


◇たぶん、この物語の勝者には、この崩れ去った物語世界を如何に日常に引き寄せ、崩れた世界律を元に戻し、辻褄のあった幸せ(あるいは不幸せ)な世界を再構築することが求められているのではないかなあ。


◆さて、この作品世界では、すべてが「印象的」「抽象的」「妄想的」だ。回を重ねるごとに「具体的」で確固とした現実も無ければ、「具象的」な<大衆>も<荻窪>も<地下鉄>も存在しないことが段々とわかってきた。記号化されたモブシーンや「子供ブロイラー」に象徴されるようにこの物語は、全てが抽象の上に成立していた。


◇ここに至っての、この現実感の無さはただごとではない。当初、演出上の単なるテクニックと思われたモブシーンの抽象表現は、実はこの物語世界の本質を表現していたのだとわかる。(と思った・・・・子供ブロイラーがツボすぎだぜ。。。)


◆シリーズ当初は、死を見据えた分かり易い兄妹愛の物語(と視聴者(オレを含む)鷲づかみの変身バンク)があるのみだった。


◇しかし回を重ねるごとに、物語、というか世界はずれていく。当初、揺るぎなく語られていた幸福、或いは不幸な状況が、「シンプルで強烈なキャラクター達」、また「シンプルで定型的な物語類型」によってあっちに引っ張られ、こっちに引っ張られ、終いにはグズグズに崩れてしまった。今や、この物語世界には、確かな「現実の階層」が何もなくなり、底なし沼の様相だ。


◇「シンプルで定型的な物語類型」を繰り出し、そこに因縁を後からぶら下げて世界の意味を変える手口の徹底していること!


◇「分かり易い物語」を、語る順番を前後してモザイクのように重ねた末に、ここまで分かりにくい物語世界を構築し、あげくに世界をぶち壊してしまった手腕がすごすぎる。


◆・・・ということで、ラストへの展開が超楽しみ。未だ語られていない、カンバのヒマリへの妄執の起点、ヒマリの存在理由あたりが注目点でしょうか。あと、現世界の主宰者だと思われる消えたモモカとか。