■フラクタル06最果ての街s岡田麿里c藤森かずまd三浦陽g山崎秀樹

◇(たぶん)結構大胆な世界設定が明らかになった回。これからどーすんだ。


◆この物語世界で言うフラクタルシステムの支配が及んでいる領域では、現実レベルの「物理実体」の上に、「仮想現実の虚構」が被せられていていることが明らかになった・・・・・ということでいーんだよね?


新月の夜、僧院はバルーンに介入する。・・電波が一時的に強くなる。・・そいつを、このアンテナが捕まえたんだ。」(第一話で描写された主人公クレインの持つ家族の映像と同じ写真をもっていたおっさん)
「そうか・・・・これはこの辺りのバルーンが落ちる前の街並み。」(クレイン)
「この地をもう一度圏内に。・・・・それが俺の望みだ。(・・・)この地上に生きる人々は、もうフラクタル無しには生きられない。・・なら、電波を求めて彷徨うのではなく、自分の手で、この場所にまたフラクタルの恩恵を呼び寄せる。それが・・・」(おっさん)


◆この回の画面演出では、何もない空間に石積みの建物群で構成される都市が現出したりしている。(これをフラクタルシステムから切り離される前の街並みと説明している。)

◇そうすると、第一話第二話あたりで描かれてきた、クレインの住んでいた街も同じような仮構の存在だったのだろーかと、疑問符が沢山湧いてくる。


◇仮にクレインの住んでいた街が脳内の仮想的存在であったとすれば、第二話で描かれた(仮想の存在であるのに物理的な実体に干渉した)ネッサが時計塔のドアを開けるシーンは納得できる。


◇だけれども、今度は「物理的に存在していると思ってきた」クレインなどが、構造物にのぼったり、自宅の中で生活したり、寒さをしのいでいるのが俄に現実なのかどうか怪しく感じられてくるのでした。


フラクタルシステムにカンペキに制御され干渉されている人間は、視覚や五感にニセの情報がおくられて仮想の街を認識しているのかしら。


◇この回では、「現実の地形」に被せられた「仮想の街並み」に騙されて「現実の地形」に翻弄され滑落する人間が描かれていたけれども、フラクタルの完全な制御下にあれば、たとえば一見ぼーっと突っ立っていたとしても、脳内では歩行や階段の上り下りが実行されているみたいに感じられるよーなカンジ??


◇イメージとしては、第4話で描かれた星祭りで立ちつくす人々でしょーか??彼らの頭の中では、実は賑やかなお祭りや夜店を歩く自分達が認識されていたのかもね。


◇また、フラクタルで完璧な医療を受けられるとも言っているので、人間の代謝をも制御して寒さや痛さを感じさせないようにしているのかも。


◆ところで、「21世紀ものの携帯」を見てのクレインのこの↓セリフが気になった。
「はぁ・・・やっぱりいいよな。データとかとは違って、ここにちゃんと存在する。ちゃんと息づいているってカンジが・・・・」


◇ということは、クレインが触れて使っていた少なくとも携帯電話や電子機器は物理的に存在していない仮想の存在だったってことだろーか?そしてそれをクレインも認識していた?



◇・・・・だけどまあ、もろもろ分かりにくい世界描写だよね。何が本当なのか、よくわかんないや。。。。。


◆◆以下メモ◆◆
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「もうしばらく行けば、圏内にはいっちまう。このあたりでガッツリメンテナンスしておくか!」(スンダ)


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フラクタル支配外の領域でネッサが見えるのはおかしいらしい。やはり、ネッサは周囲の人間の電脳にウィルスのように寄生して増殖する存在のよーな気がした。


「そういえば、あのドッペル。・・・・なんで圏外なのに見えるんだ?」(スンダ)


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「アイツらは圏外難民だ。(・・・)バルーンが落ち、電波が届かなくなってフラクタルの恩恵を受けることが出来なくなった奴らさ。」
フラクタルに頼り切ってきたせいで、自分たちの力じゃ生きられない。新たな圏内を捜すしかない。」