■フラクタル02ネッサs岡田麿里c&d神戸守g田中祐介

◇2話遅れ。


◆ネッサという萌えキャラが登場(私が見た山本作品は数少ないが、しかし山本監督っぽい萌え仕草演出、かつ萌えキャラ造形って気がした。)。しかし、この作品世界でいう、「ドッペル」という仮想的存在らしい。


◇通常「さわれない」ドッペルなのに触れる。主人公の体内に埋め込まれたセンサーに干渉して幻覚を生じさせ、主人公の肉体の五感を刺激しているってことみたい。(ネッサにネガティブな感情を抱くことによって、触れなくなるみたいなので、そこが物語的なポイントなのかも。)


◆しかし、この回ではどうやら他人には見えない存在として演出されている。(広場に集まったキャンピングカーなどの)周囲に存在するコンピュータシステムに干渉はしても、(ネットワークに接続するセンサーをデフォルトで体内に持っているはずの)他人の視覚感覚には潜り込んでいない様子。


◆ところで、ここで(きっと)ポイントになっていくるのが、ネッサの本体のペンダントをセキュリティに預けたはずなのに、なお主人公に干渉してくるところではないでしょーか。


◇主人公がネッサの本体を解凍しプログラムとして自律して動かす事態を招来したことにより、もはや本体はペンダントにはなく、主人公に接続するコンピュータシステムを侵蝕しているということではないかしら。。。。。。と思った。ウィルスよろしくネッサに寄生された主人公はこれからきっと道を踏み外していくのでしょう!



◆ところで、劇中ドッペルは「もう一人の自分」と語られている。だから、主人公と家族ごっこをする父母のドッペルは「生物的な本体」が語り思考しているのではなく、仮想世界のコンピュータが本体をシミュレーションして家族ごっこをしているという状況なのではないでしょうか。だから、主人公は感情と自分の都合一つでパージしてその存在を気軽に追い出す。


◇ただし、人間本体の「直接交流」が極限まで失われ、仮想的なシミュレーション人格(それとも遠方の本体?)と対話して生活するのが主流のこの世界において、旧態依然の家族観が残っていて、それが主人公の倫理と行動に影響しているってのはどうにも腑に落ちないよなあ。。。。。まあ、世界の創造主が古き良き時代にならってそのように仕向けているのかもしれません・・・・・。誤読かも。


◆◆以下メモ◆◆
・鍵とはネッサのことかしら?
「落ち着きなさい。どこへ?とはおかしなこと。あの子はどこにも行けません。・・・このセカイは全てが繋がっているのです。戻ってきたら、キツイお仕置きをせねばですね。・・・・セカイの鍵を盗むなど。」


・「乗り物がこんなに一杯・・・?みんな遊びに来ているの?」(ネッサ)
「いや、あのモビールが家なんだ。何にも縛らなくて、便利みたいだよ。いつ星が落ちても簡単に移動できるし。」(主人公)
「星?」(ネッサ)
「バルーンだよ。町の周りは電波も安定しているしね。家なんてないほうが気楽なんじゃない?」(主人公)



・「僕は自分のドッペルを持っていない。もう一人の自分がいるなんて何となくイヤだったし、だから、アイツにあんなこと言われたくない。」(主人公)


・「そんなに俺が何しているのか気になるのだったら、一緒に暮らせばいいじゃないか?、ここで。」(主人公)
「何を言うんだ。それでは自由を縛ることになってしまう。・・・深く理解しあっているからこそ、お互い自由でいられる。・・・それが家族ってものだろう?」(主人公の父ドッペル)
「家族が一つの家に留まるなんて、そんなのは信頼のない証拠よ?」(主人公の母ドッペル)