■鋼の錬金術師(新)32大総統の息子s大野木寛c三條みなみd矢吹勉g大貫健一g補佐大城勝

◆旧シリーズの後半のオリジナル展開が超大好きな人間としては、それらを全て否定しようとして始めたこの新アニメーションシリーズ、大いに反感を感じており(すみません!原作は読んでいません!)、実際話の大部分が被る二十何話ぐらいまではダメだなあ、劣っているなあ・・・・と思っておりました。だけど何となく気になって流し見程度に視聴をしてきた。ところがですよ、前シリーズとの乖離が大きくなってきたここ最近、抜群に面白く感じられるようになってきてしまった!


◆だけどねえ、二十話近く感想をさぼっていた私には、この物語をとやかく言う資格はもはやない。辻真先先生も全話見た人間にしか、そのアニメーションをあれこれ言う資格がないと仰っているじゃあないですか。


◇そうなのだけれども、でもしかし、だけど!今日の話を見ていてどーしても、ひとこと記述したくなってしまいました。これは衝動なのでどうしようもない。人間は自分に甘いのです。おまけにナナメに見てきたモノだから、少し自信がない。見当はずれだったらごめん。・・・・・・だめじゃん。ああ、生きていてスミマセン。


◆このシリーズ、20話を過ぎるぐらいから、物語として先を知りたい!主人公達の行く末が知りたい!というストーリーテリングでは素晴らしい抜群の輝きを発揮しだしたのだけれども、代わりに失ってしまったものがあるのではないかしら?という話です。


◆そのターニングポイントが、第29話「愚者の足掻き」。
エドとアルそしてマスタングが、ホムンクルス陣営にかなわないからと言う理由で、腹に一物抱えつつ、ブラットレー大総統を始めとしたホムンクルスの一派の軍門に下るという、意表をついた展開の回です。


生殺与奪の権を握った敵に、そのお情けにすがって生かされる(でも隙あらばと狙っている)という展開は、わたしはものすごーく好きなのだけれども、エドのキャラクター性に照らし合わせて、もの凄い違和感を感じてしまった。


◇そりゃあ、故郷の幼なじみのウィンリーとかを人質にされているという名目はある。それには、エドにとって敵対関係を呑み込むインパクトはあるとは思う。だけど、その呑み込んだ感情は激烈な反作用を発揮しなければならないと、私のゴーストはささやくのですよう。


◇だけれども、その後のエドは、拍子抜けするほど普通にしか描かれていない。第29話の苦い敗北のインパクトはエドにとってとんでもなく大きいはずだと、私は、思ってしまって、思ってしまって、思ってしまって、思ってしまって仕方がないのであります。


◆この回、ブラットレー大総統の養子との偶然の出合いをきっかけにして、エドとアルは敵の一派であるブラットレー大総統に純粋に好意を寄せる妻と子の存在を知るのだけれども、このブラッドレー大総統と妻と息子、そしてエドとアルが一同に会した居間の場面。これこそ、エドにとっての物語的な大舞台でしょう!


◇それなのに、エドときたら、敵対関係と力関係のアンビバレンツを微妙に意識しつつ、モジモジするだけなのだもの。エドはこんなオトナじゃない!もっと敗北感と屈辱に苛まれなくちゃあ、ならないはずだと、私は強烈に違和感を感じてしまったのです。


◆ここで私はおもったのです。入江監督を始めとするアニメーションン製作者は、エドのキャラクター性に代表される個々の感情の揺れ動きの流れと一貫性はあまり重要視しない。ただひたすら求めるのは、物語展開の意外性。ストーリーテリングを物語の至上の価値として設定したんだなあと。


◆だけど、個人的には、旧シリーズ後半の超優秀なオリジナル展開の呪縛を解こうとして一生懸命頑張っている様子を感じてしまい、すごーく健気に感じる今日この頃でありました。あーっ、御免なさいっ。なんと不遜な。・・・原作を読んでいない人間の戯言なので気にしないでいてくだされば幸いであります。