■栗本薫先生死す・・・・・・

◆ショックだ。私のライフサイクルの中でも、手塚治虫先生が亡くなった時よりもショックだった。
◇あまり読書量の多い方ではない私の中高時代は、栗本薫先生とともにあったと言っても過言ではない。全人生を通しても、一番多くの作品を読んだ作家は栗本先生を置いて他にいない。絶対だ。


◆初期の、物語への偏愛を語った熱気のこもった文章群が未だに私のコアにある。ヒロイックファンタジィ、古き良きSF、クゥトルゥー神話、探偵小説、文芸評論、時代小説。そういえば、やおい的な極北のジャンルにまで私を導いてくれた。


◇先生は、幾百の世界を創造し、幾千の生命を与え、世界を運行し、語り続けずにはいられなかった。


薄明の意識の広大な海の中から押さえようもなく発生する、わたしの為に書く、わたしが書く、永遠に終わらない物語・・・・ああ、それこそが人生。


◆・・・・申し開きもないのだけど、私のグインサーガの物語は、89巻で途絶している。2003年に私に何があったわけでも無いのだけれども、物語とともに時間を歩めなかったのは悔やむばかりだ。先生の病状は近年のWEBで知っていたというのに。・・・いや、だからこそ永遠に終わらない物語の終焉の気配に、ひどい痛々しさを感じ目を背けないではいられなかったのかもしれない。・・・などというのはきれい事かもね。ごめん先生。


◇今、2003年発行の89巻の巻末後書きを読んでみても、そこには自分の死とか晩年を意識した気配が濃厚だ。手塚先生の60歳での早すぎる死について「その悔しさ、無念さ、未練がひたひたと胸に迫ります」と書いている。・・・56歳で亡くなって、その無念さは手塚先生以上じゃないですか。ああ、なんというか、もう、やってられないよ。せつないよ。涙がでるよ。


◇でもさ、永遠に終わらない物語が、永遠にわたしたちのこころのうちに残されたってことなのかもしれないよ。そうすると、ひとまず心を落ち着けて、最新の126巻まで読もうよ。そうして、その続きの物語をわたしは日々のなかで創造していくんだ。