■キャシャーン Sins 20誰がために花は咲くs高橋ナツコc&d&gEUNYOUNG CHOI_原画g補佐清水奈津子総g馬越嘉彦

キャシャーン Sins
◆旅の果てにたどり着いた「この世を滅びから救うはずの癒しの存在」ルナは、死に飽いて、死を冷淡に突き放し、滅びつつある世界をただ見つめるだけの存在で・・・・という絶望的な展開。
死と滅びに冷淡に接するルナが、寡黙に憂鬱に君臨する荒涼とした街でキャシャーン達が見たものは・・・・という感じでしょーか。


◆ここにいたって、演出的に物語の流れは解体されてしまい、ルナという存在に違和感を感じるに至るキャシャーンとリューズとリンゴの彷徨が、場面的な連続性やエピソードの接続性を余り考慮せずに点描されていきます。


◇演出の手つきは詩的で抽象的だけど、シナリオ的には、抽象的にならず、逆に具象的な素材と俗っぽい物語性で組み立てられた独特の雰囲気。このシリーズならではのミスマッチな手触りが、より強調されている回じゃないでしょうか。


◆個人的な好みは、もっと通俗性を押さえた象徴性を多用するようなシナリオなのだけど、このシリーズの世界認識の陰々滅々さへの私の共感が勝ってしまい、毎回絶賛せずには居られないな。


◇なにせ、この回は、崇拝するルナへの失望を心に押し殺した「死神ドゥーン」の、そのルナにも突き放された哀れな死に様に泣かざるを得ないでしょう。ルナを守ったのにこの仕打ち!・・・なんという喪な展開なんだ。素晴らしすぎます。
「・・・・嫌いよ。死の香りのするものは。」(ルナ)


◆一方、ルナと対照的に、この回でもブライキングボスは、聖者のような立場で描かれます。
死に行く手下の墓を作り続けたというブライキングボスは、「どれほどの滅びがあったのか忘れたくなかった」「夥しい数多の死を胸に刻みつけておきたかった」と呟くのです。


◇ここでは本来想定される善と悪のポジションが逆転しています。このあと、再逆転が描かれるのか、それとも逆転に至るネガティブな心情の経由を描いてくれるのか、それとも全く違う方向に行くのか、いずれにせよ、すごく楽しみかも。


◆ところで、この回の演出・コンテ・作画監督は、カイバの第5話「憧れの星アビバ」で強烈な色彩とフォルムの狂乱で異彩を放っていたウニョンさんという方でした。
なるほど、舞台上のルナを人々が崇めるところの独特の人物フォルムとか、地下洞穴での殺し合いの場面を始めとした抽象度の高い画面の構成など、この回の演出的に突出したところの説明がついた気がして(個人的には)納得です。


◆◆以下メモ◆◆
==============================
・死神ドゥーンの、崇拝するルナへの失望と絶望。
「太陽は何も与えない。・・・・俺たちが勝手に受け取っているだけだ・・・。」(ドゥーン)
「・・花は何故咲くのか?・・・・意味などないのかもしれない・・・。」(ドゥーン)

==============================
・完全に死んでいないロボが累々たる死体の山に捨てられる。
「やめなさいっ!まだ生きているわ!」(リューズ)
「死んだも同じ。・・・もう、・・癒せないの。」(ルナ)


==============================
・ドゥーンの世話する、枯れつつある花を見て。
「嫌いよ。・・滅びなんて見たくない。・・・埋めてしまって。・・・そして新しい種を蒔くの。種なら幾らでもあるもの。」(ルナ)


==============================
「掛け替えのない光・・・・オレは見つめるだけでいい・・・・」(ドゥーン)


「言ったはずだ・・・太陽は何も与えない。・・ただそこにあるだけ。・・・そして花は、・・ただ咲くだけ。誰のためでもない・・・・」(ドゥーン)
「そんなことない。誰でも、どんなものでも、命ある限り誰かのために生きているはずだ。・・・この旅で、僕はそれを知った。」(キャシャーン
「されど、オレは・・・ただの花でいい。・・ただ咲き・・ただ散り・・・それでいい・・・・・。」(ドゥーン)


==============================
キャシャーンは、ルナと対峙する。
「君が癒しを与えるものなんてウソだ。君は誰も救っていない。」(キャシャーン
「・・・・それでも、私がいないとみんな死ぬ。・・・醜く、嫌な香りを放って。」(ルナ)


==============================
「死に往くことが醜いなど・・・・・・。旅の果てに感じたものは、希望でも絶望でもなく、・・・怒りだった。」(キャシャーン