■ゲゲゲの鬼太郎15働く!目玉のおやじs吉田玲子d織本まきこg出口としお

◆2週間ぶりぐらいにアニメ感想。
ワタシ、本来は何にしろ作品を誉めるのをスタイルとしているつもりなのですが、この回を見てどーしても貶す系の文章が書きたくなりました。ごめんなさい・・・。


◆さて、妖怪横町という(下町人情的ヒューマニズム溢れる?)ダメ設定が背景にあるだけに、だめーな感じの漂う一編。ワタシ的には、本来ならば見ても決して感想書かない種類の回かも。
◇中身は、目玉のオヤジが鬼太郎に父親としていいところを見せたくて、鬼太郎が欲しそうにしていた自転車を買うため、妖怪達の経営する風呂屋や雑貨屋やマッサージ屋でアルバイトをする話。


◆ワタシは強く言いたい。好んでか好まざるか知らず、貨幣が流通し、労働で対価を貰うとゆー経済の合理主義システムに組み込まれた妖怪達の描写は、なんともやるせない気持ちを起こさないか!


妖怪はもっと合理不合理を超越して、ぬぼーっと意味もなく現れ立ちつくし、個体の自律意識も目的もなく、語らずに「ただそこにあるもの」であるべきなんじゃないかなあ。


◇そもそも、彼らは、社会を足蹴にして、「朝は寝床でグゥグゥグゥ」「おばけにゃ学校も、試験もなんにもない」じゃないのか!
小豆洗いが、小豆を洗って団子を作って妖怪仲間に売ろうとしている様を見る落胆!油すましが、代価を払ってマッサージサービスを受けている様を見る失望!


ああ、もうカンベンしてくださいとしか言いようがない。こんなの、もはや妖怪じゃないんじゃないか。(かってのテレビシリーズとかは、ワタシ、あんまり知りませんが、水木先生のふるーい原作ではこんな事なかったんじゃないかなあ。近作だと、実はこのテイストに近かったりするの?)


◆あと、ついでなので、キャラクター性についても、書いてもいいですか?ダメと言われても書くけどさ。


たとえば「「砂かけばばあ」というキャラクターがいるのではなくて、「砂かけばばあ」という属性がいる。それは代替可能で、その生死には主人公を始めとして特に感興を引き起こさない」というドライな視線が、子供の頃、水木先生の漫画を読んで強く印象に残っているのよ、ワタシ。


この番組の正しい視聴対象を考えればやむを得ないかも知れないけど、例えばさー、前回のぬりかべの家族って一体なんなの?・・・って思いませんか。・・・・・そうですか、思いませんか。あははー。