■地球へ…09届かぬ思いs根元歳三c&d柳瀬雄之g高乗陽子

一話遅れ。
◆アンタは、ヒトが悪い!と言われるかも知れないけど、大好きなシチュエーション。気が違って人格はバラバラになってしまい、幼き日の幻影の残響を見ながら、幸福な錯乱の内にひとつのクライマックスを迎える・・・・・・・・というこの回。


◆シロエは、「記憶消去の儀式」を越えても、かっての幸福だった子供時代の幻影の残滓に包まれることを望み、心の奥底で<管理社会>の一員になることを強く拒絶して生きてきたってところでしょーか。


◇彼の物語を見ていて、ああ、この物語世界の<管理社会>は、子供時代の「オトナになる恐怖」の象徴としても機能しているのかなあと、少し思った。
「オトナ=社会の構成員になるには記憶を消されなければならない」というこの物語世界のギミックは、「オトナになることが、いわば、子供時代の自分を殺し、別の理解出来ない存在に生まれ変わることである」と思い、恐れる気持ちに通じているのではないかしら。


◇世の中にはいろんな人がいて、早くオトナになりたいと願う子供もいれば、自分の食い扶持は自分で稼がなければならないという社会の仕組みに組み込まれることを恐れ、暮らしていく中で不可避に押されてしまう社会的烙印を毛嫌いし、自分は「社会的に強制された価値」のつかない中立で透明な存在として生きていきたいと強烈に願う子供もいる。


まあ、この回のモチーフ通り、そのまんま「ピーター・パンシンドローム」ってことなんですが、しかし、この物語では、<オトナの社会>=<管理社会>が、否定すべき存在として描かれていて、つまり、「オトナになることを拒絶する」は、正義なんですよね。
やがて、否定すべき存在としての<管理社会>が裏返っていく展開ではあるのでしょうけれども、シロエの物語をこのセンに重ねると、やっぱり、無理がありますか。あはは。


◆ところで、この回のシロエに対するキースの「冷酷な行動」は、(キースに関して)ひとつエピソードが足りないかなと思った。
この種のキースの命令絶対服従の冷酷なエピソードが、別途、一度キチンと描かれていれば、この回のキースの葛藤と、人格の変容はもっと効果的に演出出来たような気がしちゃった。


◇キースは、「マシーン」と呼ばれつつも、ここまで命令に忠実でかつ冷酷な行動をとったことがないし、そもそも見ているワタクシ的には、キースは、かなり人間的な葛藤を持つ人物として見えていたので、この回の行動には、非常な違和感を感じてしまいましたよ。