■エルゴプラクシー補遺04〜□■エルゴプラクシー18終着の調べ/life after god

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◇<エルゴプラクシー補遺>の趣旨は、こちら(要約:自分のながーいコメントレスを整理しておきたくなりましたとさ。)
◇コメント頂いた方、勝手に再利用して申し訳ありません。ご寛容をお願いします。
※なお、再録中の記述者<miyama_aruki>は、私です。


◇この回は、1人の方にコメント頂きました。コメントの並びは読みやすい様に編集しました。(文章には一切手を入れていません。)
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◇この回は、ようやく一同モスコにたどり着いたとゆーのに、突如プラクシーワンが登場して記憶の番人を殺し、ワタシの拙い理解能力の限界を超えた回。
場面から読み取ろうにも、何度見ても理解できず、ほとほと困り果てている様子が、ワタシの感想本文から窺えます。マヌケかも。

エルゴプラクシー18終着の調べ/life after god_s氷川成基c松尾衡d米田光宏g伊藤秀樹g協力恩田尚之山田正樹寺田嘉一郎


★私の感想本文はこちら(2006年7月8日記述)


■■■■ほむ さんとのやりとり

■ ほむ さんのコメント

『なんとももどかしかったですね、今回は。
miyamaさんの、プラクシーは二つで一組、という
考察に同感しました。
セネキスとカズキスは月と太陽
モナドとエルゴは生と死。
どちらも反対のものですがそれぞれ愛し合っているという
共通点もありますしね。


ラクシーワンとビンセントの関係性は全くよく
分りませんね!


私の中ではビンセント=エルゴで、プラクシーワンとビンセントは、記憶を失った時点で二つに分かれてしまったのではないかと思っていたのですが。でもこれじゃ複雑すぎるような。


そもそもエルゴとビンセントの関係もよくわかりません。中盤では、ロムドの外で崖から彼が落ちて、エルゴがそこから飛び出してきた時、ビンセントの肉体は崖の下にありました。しかし森の中で獣みたいなプラクシーと戦った時は、彼自身がエルゴへと変容していきました。
あぁ既に来週が待ち遠しいです・・・。』(2006/07/09 14:43)


■ miyama_aruki のレスポンス

『◆そうか。カズキスとセネキスも対だったかもしれないですね。
ついでに、上の感想書いている時に漠然と気づいて書き忘れたことなんですが、第9話から更に、カズキスの発言を引用すると
「我がアスラが太陽なら、ハロスは月。わたしとセネキスが、それぞれに対となる塔を築いたのも、いつかくる目覚めの時に、交わした契りの証しとする為・・・・何を言っているかわかるか?」
「嘆きの定めに気づいた私とセネキスは・・それ故に苦しみ、故に揺るぎない愛を得た。」
「しかし、その契りを交わす前に、セネキスは死んだ・・・君が殺した・・・だがよい、定めの前では契りなどはかないもの。むしろ、こうして君に出会えたことを光栄に思う・・・君の力に感謝を」


とあって、なんか「目覚めの時」には、「嘆きの定め」があるらしいですよ。


◆プラクシーについては、ワタシも最初、抽象的な幽霊みたいな存在かと思っていたんですが、具体的に変身するシーンもあって、いまだ、わかんないですね。(ワタシはこの物語世界そのものも、仮想の世界ではないかと、若干疑っているんですが)
カズキスのエピソードの時もそうでしたが、プラクシーの存在の根幹に触れる話になると、途端に混乱の縁に落とされてしまうのは、やっぱり仕掛けなんでしょうか。
「プラクシー世界観」の多様性を生む為の、周辺についてのエピソードだと、一話の中で何が行われているか分かる作りになっているのですが、根幹のネタは、カードを少しずつ切っていって、最後に、あっと言わせてくれるような挑戦的な作りになっているのだと、大いに期待しちゃいますよね。』(2006/07/11 01:06)
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