■エルゴプラクシー14貴方に似た誰か/ophelia_s永川成基c村瀬修功d北村真咲g小森秀人坂本千代子

19世紀のイギリス、ラファエロ前派のミレイによる、ハムレットの、死せるオフィーリアを題材にした絵画「オフィーリア」のイメージを、もうそのまんまで、キー・ビジュアルに据えています。
もう、10年も前になるけど、ワタシ、魅入られるように、テートギャラリーで、じーっと、見続けたものでしたよ。(最近、絵を見に行くこともなくなったけど、静止したタブローなのに、いくら見続けても飽きないあの快感は、捨て去るのに惜しいよね・・・・・・・最近のオレはなにやってんだろうねえ・・・・)


この回、リルを、水面に漂う、死せるオフィーリアに比定したシーンが3度ぐらい繰り返されます。また、無人のドーム都市のスーパーの名前がオフィーリアだったりして、この回に仕込まれた意図を考えちゃいますね。


おそらく、ニセのリルが泉に半分沈み込むのを見て、ニセビンセントがピノに言ったセリフ「人はこうして・・・・世界から消えていくんだ。」というのに演出意図が集約されている気がする。
ミレイの絵は、透明感ある水面と、包み込んでむせ返るような緑に死体が包まれ、自閉した上で自然に溶けていくようなカンジがしますが、この回は、このドームの主であるプラクシーのそういう願望を、ミレイの「オフィーリア」のイメージに託しているんでしょうかね。


しかし、演出的、脚本的にどうもうまくいっていないとおもっちゃった。具体的な状況の説明が上手くなかったり、逆に抽象的な意図を説明しすぎたり。バランスが悪いかも。


たとえば、Aパートの、二人のリルと二人のビンセントで、状況が混乱するくだりは、演出的見せ場になるはずなんだけど、「よく分からない」という感想。映像的キレがなくて、メリハリが弱い・・・・
また、Bパートの、やはり演出的見せ場の、泉から起きあがってくるビンセントと、岸辺に佇むリルとの、つきることのない悪夢の繰り返しも、炸裂し損なっているカンジ。
非常に、面白くなりそうなネガティブなテーマと演出的見せ場だっただけに、とってももったいないなと思ってしまいました。


◆◆以下メモ◆◆。
・冒頭のアバン。リルとビンセントが、世界と自分の関係について、子供の頃の感覚を語っています。この回は、自分と他者の区別がつかない、子供の状態で発達段階が止まっているプラクシーについての物語かな。ビンセントやリルが二人登場するってのもその辺の演出の兼ね合いでしょう。
「小さい頃は、自分が死ねば世界が消えると思っていた。幼稚な妄想・・・自分がいないのに世界が続くのが許せないかった。」(リル)
「オレはオレで、他の誰かじゃない。・・・・それがすごく不思議だったことを、良く覚えている。オレの記憶は信用がおけないが、この記憶は古くて確かなモノだ・・・」(ビンス)


・泉に浮かぶ、ニセのリルを見て、ピノとニセビンセントの会話。
「リルリルは?」
「リルはもういない・・・コレでラクになるんだ。」
「いるよ。もう一人。」
「なにいっているんだ。」
「ビンスももう一人いるよね。」
「僕はひとりだ。君の料理を食べた、君の好きなビンセントだ。」
「お料理たべてくれたのは、別のビンスだよ。ビンスも二人、リルリルもふたり・・・・なんで、ピノはひとりなのかな。」
・Aパートは幻想ではなく、実際に二人ずつ存在した状況の混乱。


・ビンセントに対する、ニセのビンセントであり、ニセのリルであるこのドームのプラクシーの独白。
「僕らを受け入れてくれる世界はない。・・・これは、僕が見てきた風景だ・・ずっとひとりきり。誰とも話をしない。だから自分が分からない。・・・どうして、僕は僕で、みんなの好きなだれかじゃないんだろう。」
「僕は、誰かのふりをして愛してもらうことを覚えた。・・・でも気づいた。愛されているのは僕じゃない。・「誰でもない僕は、誰にも愛されない・・・・だから僕は消えてしまおうとした。」
「僕らは消えたくても消えることが出来ない。・・・みんなを消してみんなの中の自分を消そうとした。」
「でもダメだった。一番消したい、自分だけがのこる・・・・」
「・・・その輝き、君となら、僕は消えることが出来る。・・僕と消えよう・・・君は僕だ。」


・このドームのプラクシーに影響された、本物のビンセントのまよい。
「ひとりぼっちになるのが怖い。自分が何か分からないのが怖い。そのくせ、知るのも怖くてたまらない。・・・側にいて欲しい人。でも、僕の側にいると消えてしまう。・・・それなら、このまま僕が消えてしまうのも悪くない・・・・」


・結局ビンセントは、融解の誘惑から逃れることができたのですが、最後にビンセントがこの回の総括。
「あのプラクシーは姿をかえることで他者に受け入れられようとした・・・確かにそれはオレも同じだった。・・・しかし、オレのこころは、彼女やピノと出会い、旅をつづけることで変わっていける。自分が変われば、生きる意味の受け取り方もかわっていくはずだ。だから、・・・オレは消えるわけにはいかなかった。・・・たとえ、プラクシーであっても。」
・・・・・確かに、このセリフがないと、この回で何が行われていたのかが、分かりにくいけど、こんなに説明しちゃあなあ・・・・


ジンジャーエールが好きなリルさん。