■蟲師20筆の海s桑畑絹子c長濱博史dそーとめこういちろう長濱博史g田中将賀中村章子西位輝実馬場充子

先祖の因果が身を犯し、右足に封じられた、蟲とともに生きていくことを定められた娘の話。
この物語では珍しく、この娘は、蟲に翻弄されるだけの哀れな存在ではなく、身内に棲む蟲と、不可避の共生をしつつ、「一族」の役割、責務に押しつぶされることもなく、強く生きている。
いささか、古風な男言葉で強がってみせる様子は、非常に健気で好ましい。
当然、キャラクター的に非常に立っていて、作者の愛着もあるのだろう、ギンコとは精神的に特別な関係のようです。ギンコ、すみにおけないねぇ。


さて、先祖の因果とは、世界の秩序を乱す「禁種の蟲」を、我が身に封じ込めた事に発する。数代に一度、封じ込めた蟲が身体の一部に凝り固まった子供が生まれる。その子は、我が身に封じ込められた蟲を、文字に表出して巻物に書き記すことで、徐々にその呪われた蟲から自由になっていく・・・・・


この絵巻に書かれた文字の蟲が、紙魚に喰われた巻物から、ぞわぞわぞわと地上の部屋へ這い登っていく様はこの回のポイント。
ただし、コレに続くシーン。娘が、巻物の蟲の文字の、一連の章立てだとか連なりを全て把握していて、ここは何々の第一章、ここは第二章、みたいにひょいとつまんで、つるつるつるーっと、真新しい巻物に転写していく描写は・・・・・・う〜ん、お箸でハエをつかむ武芸者がその超絶な技とは別に、ギャグにみえるように、汚れたココロのワタクシには、ギャグにみえてしまって・・・それが残念。オレの資質のせいかもしれませんが。


あと、娘の右足に眠る蟲が、娘の身体を経由して巻物に表出していく描写は、動くアニメーションならでは。
かなり関係ないんですが、漫画版ナウシカのシュワの墓所の、年一度、夏至に一行だけ太古の知恵が文字が浮かび上がるという、墓所の主を連想したりしました。アレは、巨大な円形の肉塊状の表皮に文字が浮かびあがってくるんでした。


◇以下メモ。
・これが地上波最終回ということでカナリ残念。なかなかこんな出来のいいシリーズはないです。
うー、土日出勤死の行軍がなくなったら、BSデジタルはいる環境に移行するかなー


・あと、不遜ですが、このアニメーションシリーズの総括。
漫画原作は、既にほぼ完成されたシナリオであり、絵コンテ状態と言える優れたものだった。ただし、唯一の欠点が、ユニークな発想と描写を地に足をつけてリアリティあるように見せる部分。2巻までしか読んでいないんです(そんな奴がいい加減かくな!とか)が、暮らしをリアリティあるように見せたり、人と人の対話がこなれていなくて、ぎこちなく、年齢相応とか立場相応の対話に見えないカンジが若干した。


このアニメーション・シリーズの力量は、この人間の存在感のリアリティの弱さを、動きの間合いや厚み、ゆったりとした身体の動き、こだわりの自然音と生活音などで、圧倒的に説得力をもって提示した点に発揮されていると思った。正直言うと、アニメ版を見た後だと、漫画版は粗筋を読んでいるような気がしてしまって・・・・話は逆だって分かってるんですが。


この回で象徴的に、それが伺えたのが、地下の書庫への狭い回廊での、おタマさんの歩み。
原作では、回廊に入る入り口のコマと、それを出て階段状のところを歩いているコマがあって、その間は描かれていない。しかし、アニメーションでは、その細い傾斜した回廊の中を、少しずつ滑り落ちないようにすり足で歩いていくカットが演出されていて、これが、この巨大な地下書庫のリアリティをぐんと増しています。


そして、圧倒的な日常の生活感、人間のキャラクターとしてのリアリティに支えられて、異形の存在である蟲そのもの、そして蟲の起こす現象が、さもありなんと思わせるリアリティで迫ってくるのです・・・と思ったんだけどどうでしょう。