■RD 潜脳調査室13もうひとつの海−intermission−sむとうやすゆきc&d山本秀世g井川麗奈

◆素晴らしい。「電脳空間に生存価値を希求する、現実を断念した老人の物語」という、この物語の根底設定を生かし切った佳品。


◇まさに、この作品、この設定、この主人公でなくては描けないエピソードで、その意味で「商業アニメーション」のジャンルの中では唯一無二のエッジを攻めた脚本じゃないかしら。
ほとんど言葉を積み重ねず、場面の積み重ねで語る、ゆったりとタメを重視したストイックな演出も素晴らしい。音楽演出も重要。


◇こんな商業主義におもねない脚本と演出(実はほぼ毎回そうだけどね!)をした上に、キチンと物語的な成果を出す制作の方々が実に気持ちいいや。このシリーズは佳品を連発するなあ。


◆さて、この回の物語は、ハル爺が「孫の活力」(ミナモは孫じゃないけど、冒頭のミナモの顔に止まった蜂に心配でいても立ってもいられなくなるハル爺を見ても分かるとおり、彼の中では孫以外の何者でもない。)に触発されて、失われた日々を、老人らしく回想していく形で進行する。


◇失われた故郷、東京の下町の少年時代の夏、越していった海辺の町での素潜り遊びの想い出、友情に囲まれながら海に熱中した青年時代・・・・・キラキラとして希望と活力に溢れていた「あの日々」が、ディテール豊かに、だけど寡黙に、生き生きと回想されていきます。


◆だけど、ハル爺だけでなく、見ている我々も、ふと思い至る。これらの素晴らしい日々を積み重ねて、かって目の前にあった現在を過去として押し流し、至った「結末」としての現在の自分。・・・・それは、老いさらばえ、下半身が不自由になり、あれほど求めていた「海」すらも、縁遠いものになってしまった存在。
深海で見た魚たち、イルカとの戯れや海の開放感、そして「地球律」の息吹・・・それらは、永遠に失われてしまった。


◇だけど、ハル爺は思い直す。「海」そのものとしてデザインされた「メタリアル」という電脳空間。もうひとつの現実。
そこでは、ハル爺は、青春時代の情熱を甦らせることが出来る。海を自在に泳ぎ、あくなき探求心を刺激する「地球律」を求めることも・・・・
「・・・もう一つの海が、同じ律動を秘めているかも知れない海が・・僕には残されていました。・・・・僕はまだ・・海で生きられる・・・」


◆ああ!なんと悲しくて、ほろ苦い、皮肉な話かしら。物理現実では志を遂げられずに、仮想現実に生き甲斐を見いだす男。なーんか、他人事じゃないよ。


◇だけど、この物語の世界では、「仮想現実」は「現実」に他ならない。
仮想現実に生きることは、物理現実を生きることと等価だというSF的アイデアが、辛うじてこの話を、エンターテイメントにつなぎ止めているんだろーな。
そして、そこが物語と私達との分岐点。
私達は、ハル爺に取り残されてしまうしかない。この視聴後の「取り残され感」とでもいうべき寂しい感触がまたいーんだ。