■シゴフミ03トモダチs大河内一楼c佐藤卓哉d桜美かつしg清水明日香吉田尚人野村美沙子総g川上哲也

◇3話遅れぐらい?
◆生と死の皮膜の薄さについての、鮮烈なビジュアルイメージが深く印象に残る回。特に、大勢のヒトがホームから身を投げるイメージを、具象的で乾いた画面に定着させたシークエンスは見事としか言いようがないよ。ヤラレました。


◆さて、とりあえず、舞台は都市近郊のラッシュアワーの駅。そう、急行が通過するような、しかし都市のベッドタウンとして大規模な住宅街がある駅を想像してみよう。


◇登場人物はホームに群れなすサラリーマンや学生達。
対面式ホームの向こう側の屋根から、今、自分が立っているホームに朝の光が射し込んでくる。その光は、直視できないほどまぶしい。
一日がいつものように始まる。しかし、どこか気だるく、繰り返される日々に惰性や疑問を若干感じているかも知れない。


◇君は、列車を待つ列の最前列にいるとしよう。つと見上げると、この駅を通過する急行列車が猛烈な勢いで目の前をながれていく。


◆その時、君は何を感じるか。
爽やかだけど刺すような朝の光に直射される君は、朝の光に微かな無力感を感じないか。くらくらするような目眩を感じないか。


◇実は私は感じるのですね。惰性でながれていく日々に対する「何らかの思い」が胸の内からせり上がってくるのですよ。


◆そんな折り、「日常に対する圧倒的な異物」が、圧倒的な存在感で目の前を通過するわけです。
これだけの巨体、これだけのスピード、これだけの重量感。それは本来的に単なる人工物だけれども、しかしそれだけではない、何かが宿っている。


◇少々飛躍してしまえば、ヒトが巨石を畏れ敬い、巨木に何かが宿っていると感じてしまう心性。それに、この感覚は似ているのではないかしら。


◆私は、目の前を高速で通過する「鉄の塊」には、敬いこそしないが畏怖を感じる。
そして、「それ」に身を寄せれば、惰性のルーティンな日常からするりと、別のどこかへたどり着けるのではないか?別の可能性が表れるのではないか?「何か特別なこと」が起きるのではないか?
そんな、思考にならない「気分」を、私は、朝のラッシュアワーのホームで感じてしまうのです。


◆以上、ひじょーに個人的な陳述で恐縮だけど、そんなわけで、この回は、そんなワタシの気分にぴったりとハマってしまいました。我ながら、困ったヤツだよなあ。


◇そもそも、この作品、基本的に「思春期の微細なココロのゆれと、それゆえの日常からの逸脱」についての物語であり、きっとそれを「答えのないリアリティ」でもって味付けしている、いわば「青春ノイローゼ」とも言うべき話かな?と、3話まで見てきたところでは思っています。


◇なので、それに共感してしまうワタシは、きっと精神的に一歩も成長していないのかもなあという詠嘆が吐かれ、ああ、ヤバイやと思ってしまったわけですよ。あー、もうダメかも。