■台風クラブd相米慎二s加藤祐司

製作:1985年
出演:三上祐一(優等生三上くん)、紅林茂(「お帰り」-「ただいま」のケン)、松永敏行(若干知恵遅れのアキラ)、工藤夕貴(家出した高見理恵)、大西結花(ケンに襲われた大町美智子)、相沢朋子(レズで演劇部の宮田泰子)、天童龍子(レズの相方で、ばあさんが死にそうの毛利由実)、淵崎ゆり子(純粋演劇メガネのみどり)、三浦友和(梅宮センセイ)


傑作。
◇我ながら、意味不明な作品セレクトですが、細かいストーリーは覚えていないものの、終盤の台風の荒れ狂う中の中学生男女の下着姿での狂騒と開放感と切なさは、製作年からかなり遅れて、しょぼくれて深夜TVの放送を見ていたワタシの心に、ふかく、深く印象に残っていました。(たぶん、大学受験に複数年失敗して、茫然としていたころじゃないかな・・・・一応、病気とかイイワケはあったんですが)
その印象を信じて、年ふりてアタマの堅くなったワタシが、見てみたところ、やっぱりこれはすごかった。


◇中学生男女のバカっぽさ、子供っぽさを描写する前半。まず、ここが素晴らしい。近年は、中学生といえども、大人びたセリフと課題を持たされて物語を構成される作品がほとんどだとおもうのだけど、この映画で冒頭描かれる彼等は、高校生に近いというよりも、小学生に近い存在としての中学生。
彼等にとって、社会は遙かに遠く、世界はクラスの友達との間だけで営まれ、その中で平穏で満ち足りた精神状態で充足して生きている。


◇しかし、やがてそんな彼等の中にも人間関係の葛藤、醜いオトナの嫌悪、性的な欲望、言いしれぬ将来への不安が潜み、徐々に平穏な時代が終わりつつあることが積み重なるエピソードで次々に語られていきます。


それらに起因する精神的な不安定は、次第に近づく台風、そして強まる風で象徴的に補強されます。劇中、ほんの数日間の出来事なのですが、後半の不穏な心情を演出する場面に、それが強まるほど、強くなる風の演出が際だちます。


◇さて、社会に開かれず、平穏な閉じた幸福な世界は、やがて彼等の中で反転し、逆に彼等の自我の膨張を妨げる檻、その中に閉じこめられて永遠に抜け出せない牢獄としての相貌を表してきます。
物語は、そんな自我の檻、環境から塗り固められた抑圧を、暴風雨が荒れ狂う中の集団での踊り、次第に気持ちが高ぶるにつれて衣類を脱ぎ捨て、より狂騒的になり、いわば別の秩序に乗り移る・・・・・そんな手段で昇華させるのです。


大暴風雨を伴う台風の夜に、学校にそれぞれの事情で取り残された生徒が、あるものは演劇部のノリで抵抗無く、あるものは、直前に起きた出来事で捨て鉢になり、あるものは、やはり直前に起きた出来事に理知的に取り組もうとして踊り、衣類さえ投げ捨てて下着のみになり、次第に自由になっていく様を、始終静かなロングショットでとらえたシークエンスは、圧巻。けだし名シーンというべきだと思います。すごかった。
子供の頃よくあったと思うのだけど、修学旅行などで夜、他人といることで訳もなくワクワクし、他愛のないことで狂騒的になり、集団で囁きあい、笑いさんざめき、それがやがてエスカレートしていく・・・・そんな精神的に幼い状況の、こだまし合いが非常に素晴らしく表現されていると思いました。


◇ところで、いわば、このシーンは生まれ変わりの儀式。彼等にとって、静かな動きのない世界が終わったことの象徴。この儀式が終わった時、何かが終わり何かが始まる。一体何が始まったんでしょうか?


この経験を通過した、一人の智が走りすぎる生徒、三上くんが呟きます。
死は生に先行する。人間は死ぬ為に生きていくのだ。しかし、今の世の中からは厳粛な死が失われている。厳粛に生きる為には厳粛な死を身近に感じなくてはならない。俺が厳粛な死を見せてやる。


しかし、彼が見せることが出来たのは、厳粛な死ではなく、滑稽な「死」。
我々は、偶然に左右され、意のままにならず、よりいっそうの刻苦に満ちた苦渋の世界に投げ出されたのです。そして言うまでもなく、その先には死しかない・・・・ってのは、筆が先走りすぎたかしら。


しかし、知的に少々遅れている男の子アキラと、ささやかな家出から帰郷した若き工藤夕貴(なんと13歳!)が、連れだって台風一過の晴天に、何事もなかったように、休校になった学校に行くラストシーンは、まあ、そんなこと言っていないでさ、幼き黄金の日々は終わったけれども、日常は淡々と続くものだからさ。って、言っているんでしょうかねえ。


◇ところで、同級生の女の子を黙って執拗に襲っちゃう男の子ケン。アル中の父親を持ち、<「ただいま」-「お帰り」>というコミュニケーションに過剰で硬直した思い入れを抱く様が執拗に描写されています。それをあこがれの女の子ミチコに荒れ狂う嵐さながらにたたきつけ、延々と呟きながらドアを蹴り続け、ミチコの服を破る。
この男の子も台風の夜、その抱えた鬱屈を踊りの中に爆発させるんだけど、それが妙に切ない。
(脚本の意図とは別にかってにワタシの思いこみを書くと)この子は、統合失調じゃないかしら。幼い頃は変わった男の子で済んでいたのだけれども、やがて違いが表面に現れてくる。この夜の彼は、彼等の仲間であったけれども、彼が孕んだ緊張はやがて彼を孤島に追いやる・・・・・その別れ際の最後の夜なんだよ・・・・みたいな切なさ。


ああ、この夜は、幼き彼等の統合された自我が永遠に交わることがない世界に別れていく、最後のポイントだったんじゃないでしょうか。



◆◆以下メモ◆◆
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・アキラは、授業中、鼻の穴にあるだけの鉛筆を突っ込み、間違えて机にぶつける。鼻血を出して、えへらえへらしている様の演技が絶品。
ここに限らず、この作品をみる価値のひとつは、この若干アタマの足りないアキラくんの笑顔。


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・演劇部3人娘の会話
「あーあー、最近ヤナものばっかり見る。」(ゆみ)
「どうしたぁ?」(やすこ)
「・・・・ばあさん死にそうでさぁ。やんなっちゃうよ。」(ゆみ)
「お母さん?」(みどり)
「ううん、ばあさん。」(ゆみ)


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・恋人の母親に学校にまでこられてしまう、三浦友和演じる、ダメ教師がいい味を出している。私生活のだらしなさ、生徒のことをどーでもいいと思っている身も蓋もないいい加減さが素晴らしい。
・彼の恋人は、前恋人に100万円を貢いでいるが、友和はダメにもかかわらず、自分にかけられた嫌疑を甘んじて受けるといういい面も実はある。


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・三上くんの兄のからまわりっぷりが、痛くてヨカッタ。りえ(工藤夕貴)に気があるカンジで、どうでもいい言葉遊びを無理して・・・・・・この作品世界のダメなオトナの象徴の一人なんですね。


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・木造校舎が、素晴らしく良い。


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「先生!僕は一度あなたと真剣に話してみたかった。あなたは悪い人じゃないけど・・・でももう終わりだと思います。・・・僕はあなたを認めません!・・一方的過ぎるかも知れないけれども。」(三上くん)
「何言っているんだ、バカ野郎。おれはなぁ・・・酔っぱらっているかも知れないけれど、良く聞こえてんだぞ。・・・いいか・・・・いいか、若造。・・・おまえはなぁ、今どんなにえらいかしらんがなぁ、15年もたちゃあ今の俺になるんだよ。えっ?・・・・あと15年のいのちなんだよぉ・・・覚悟しておけよ?」(三浦友和
「僕は絶対あなたにはならない。・・・絶対に。」(三上くん)
虚ろみつめるミチコ(大西結花


「りえの気持ちがわかる気がする。三上くんって残酷ねぇ」(ミチコ)


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・意味不明の商店街の白装束の二人組。
「オカリナは朝吹くもののなんです」