■天保異聞 妖奇士06竜気、奔るs會川昇c湖山禎崇d清水明g枡井一平g協力小田真弓堀川耕一逢坂浩司

◇Bパート冒頭、アイキャッチのユキアツ39歳のデフォルメキャラに爆笑した・・・・・というのはともかく、ユキアツが深く忘れていた盟友雲七を刺し殺した事件が、その事象の表面を撫でるだけで、この回では、深く追求されないのに驚いたが、次回へ持ち越しなのかもしれない。


抱きかかえていた今まさに息絶えようとしていた雲七が、ユキアツの漢神(あやがみ)の力で消滅し、次の瞬間には、なにも無かったかのように「ユキアツさん」と林の中から出て来る状況では、ユキアツには当時から今にいたるまで殺人の意識は、まったく、そりゃもー完全になかったんですね。


でもユキアツは思い出した。自分の若いころの乱暴狼藉により傷ついた女が目前に現れ、誰にも見えていたと思っていた雲七はどうやら自分以外には見えず、雲七を刺し殺したあの黄昏時の感触を思い出した。
「嫌で嫌で逃げ回っていた」そんな想い出が突然浮上してきたら、だったら、困惑と動揺、やがて慙愧と後悔の念でいっぱいで、居ても立ってもいられなくなるんじゃ・・・・と思ったけれど、39歳の心が硬く動かされにくくなっているのか、心理的にやり過ごす術を心得ているのか、とにかくほぼ平常心なのが、無性に納得いきませんでしたよ。


でも、アトルのセリフとして、今の平常心なユキアツが「現実」から逃げていることが明示されているので、雲七のエピソードはもう一波乱がありそう。もう、とびっきり痛いエピソードを頼みますよ!
①「あの人は、・・・異なるモノ。人とは異なる力を持つ。・・・別の世界の力で、自分にだけ見える人を造った。罪から逃れる為に・・・・」(アトル)


②「こいつが妖夷なら・・オレが倒す・・・」(ユキアツ)
「なら、倒せ。そしてお前も死ね。それがお前の罰だ!」(アトル)
「(絶句)・・・・」(ユキアツ)


「(数瞬が過ぎた後)・・・・それでも・・・・・・・それでもオレは生きる・・・」(ユキアツ)



◇それはともかく、この回の主題は、アトルの出自がメイン。「異界」が遠く、イスパニアに蹂躙されたアステカの民の日常にも足を伸ばしているというこの設定には、燃えた。ちょっと駆け足で説明しすぎだけどね。
しかし、コルテスがアステカを滅ぼしたのが、Wikipediaによれば、1521年だというから、1843年想定の劇中年まで、322年の乖離がある。
スペインの植民地として、都市と文化をを徹底的に破壊されたアステカの民の苦難の民族的記憶は、300年を経ても消えずに残るモノなのか。


◇ところで、前回、アトルが雲七を悪魔(デアブローマ)とよび、さらにテスカトリポカと呼ぶが、Wikipediaによれば、

テスカトリポカ (Tezcatlipoca)は アステカ神話の神で、夜の暗闇を司るとされる。その名は「煙を吐く鏡」を意味する。

魔術や変身の達人とされ、復讐や懲罰の神でもある。慕われると言うより畏怖される存在である。夜の神である事から、太陽神ウィツィロポチトリの敵対者とされ、人身供犠を好んだ事からケツァルコアトルとも敵対した。

ただし、WEBを色々彷徨っていると、悪魔みたいに悪と一方的に定義される神というよりは、日本の記紀神話のように、混沌とした多神教神話世界の豊穣なエピソードを背景に持つ、多義的な存在みたいです。


◇また、アトルが連れている馬の「ユキワ」は、アステカの神「ケツァルコアトル」だと語られる。
「ケツァルは、また異界に帰ろうとしている。だから異界への出口を必死に探している。・・・ケツァルを連れて行かないで・・・・・(・・・)ケツァルコアトルはメシカの神。・・・私の全て・・・」


この回で、「ユキワ」が、羽のある巨大な蛇に化身しますが、これは、以下のWikipediaにもあるとおり、語源が「羽のある蛇」だということなんでしょう。


Wikipediaの引用。

ケツァルコアトル (Quetzalcóatl) は、アステカ神話の文化神・農耕神である。

古くは水や農耕に関わる蛇神であったが、後に文明一般を人類に授けた文化神と考えられるようになり、ギリシア神話におけるプロメテウスのように、人類に火をもたらした神ともされた。

特にトルテカ族の祖神として篤く崇拝されていたが、アステカ族の神話に取り入れられてからは、原初神トナカテクトリとトナカシワトルの四人の息子の一人として、ウィツィロポチトリらとともに、創造神の地位にまで高められた。

また、神話では平和の神とされ、人々に人身供犠をやめさせたという。それ故に、人身供犠を好むテスカトリポカの恨みを買い、トゥーラ(又はアステカ)の地を追われた。この際、金星に姿を変えて天に逃れたとも言われ、ケツァルコアトルは金星の神ともされるようになった。

その名はナワトル語で「羽毛ある蛇」を意味し、宗教画などでもしばしばその様な姿で描かれる。また、白い顔の男性とも考えられている。16世紀初頭にコンキスタドールが侵略してきた際、アステカ人達は、白人である彼らをケツァルコアトルの再来かと思い、対応を遅らせたとも言われている。


◇また、劇中、支倉常長が、旧アステカである「ヌエバイスパニア国」を経由してイスパニアへ向かい、その際、ヌエバイスパニア国に侍が居残ったエピソードが語られますが、これは、1613年に出発して、1615年にイスパニア王に通商を求めて謁見した慶長遣欧使節団。
丁度いま、読んでいる矢作俊 作さんの「悲劇週間」で、ちらりと語られている歴史によると、1620年の帰国までの長い時間にキリスト教に帰依した侍達が、家康のキリシタン弾圧を恐れて残ったそうです。


◆◆以下メモ◆◆
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岩本若本規夫さん声の南町奉行鳥居耀蔵さまの、遠山の金さんのマネがお茶目で、ヨカッタ。


・馬のユキワを前にして、解説する鳥居甲斐の守。あんたなんでそんなこと知ってんの。
「なにせ、ここにおわすは・・異国の神。かってもう、300年も昔、海の向こうにアステイカ、あるいはメシイカと呼ばれる国があり、あまたの神を崇めていた。これは、そのうちのひとつよ。」


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サイゾーくんの、妖夷を呼び寄せる踊りの作画が力が入っていて非常にヨカッタ。耀蔵さまの解説
「いかなる舞踊の流派とも異なる。一節には、アメノウズメが、天之岩戸の前で捧げた踊り・・・」
・踊りの作画は、フィギュアスケートをモチーフにしているみたいな気がした。
・ところでサイゾーちゃんの月代(さかやき)が、巫女姿になると消滅するのはどうなってんでしょうか。妖士の力で毛が生えるのか、健気に隠しているのか。


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・アトルの出自について
「かって、海の向こうにアステイカ、あるいはメシイカという国があった。」(鳥居耀蔵
「だが、320年前、生みを渡ってきたイスパニア人、コルテスの軍隊の前に国は亡び、ヌエバイスパニア国が造られた。・・この娘は、メシイカの血を伝えてきた一族の末裔だ。」(小笠原)


「私の国・・・ヌエバイスパニアでは、わたしたちメシイカは、奴隷以下の暮らしだけ。なんとか自分たちだけで暮らせる場所を求めて、北へ・・・。」(アトル)


・北への旅の途中、野盗に襲われて、刀を持った三人組に助けられる
「その人達は侍と名乗った。日本という国から渡ってきた一族だという。」(アトル)
「東照公、家康様の御世、支倉常長という武士が伊達政宗公に命じられ、ヌエバイスパニアからヨーロッパへ渡ったという記録が残っている。そして途中、ヌエバイスパニアに多くの武士が残ったとも。彼等の消息は定かではなかったが・・・・」(小笠原)
「200年にわたり、日本人の血を伝えていたとは・・・・」(耀蔵側近)


・なんだか、アステカの末裔の、メキシコからテキサスへの一族郎党の移住は、叙事詩的で面白そうな題材なのだけど、そういう史実があったのでしょうか。
・移住したメキシコの地も安住の地ではなく、戦争で一族郎党殺害されるアトル。壁の異界風の飾り布からケツァルコアトルが現れる・・・・
「美しい自然に溢れ、優しさと正義が守られる国、・・・私はいつかそんな日本を夢見ていた・・・・・・私達が移り住んだテキサスという地で突然、戦争は起こった。飢えた兵士達にとって私達は奴隷のままだった。そして私は祈った・・・ケツァルコアトルに」(アトル)
「かって、ケツァルコアトルという神はいたが、彼はテスカトリポカという神に破れ、この世界を去ったという。」(小笠原)


・ひとりぼっちになった、アトルは、馬に化身したケツァルコアトルとともに、日本を目指す。大蛇になったケツァルコアトルの背中にまたがって日本へ。
「私は見せ物の一座に紛れ込んだ。その一座が海を渡ると聞いていたから。そして・・・・」


「だが、ココも同じだった。異国の民というだけで、すぐに殺されそうになった。私は肌の色を隠して、日本の言葉を必死に思い出した。それしか・・生きる方法はなかった。・・・ケツァルコアトルは異界に帰りたがっている。私は其れを果たす・・・・」


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・アトルをケツァルコアトルに生け贄として捧げるという耀蔵に対してユキアツ。
「妖夷が現れる時、人の思いが必ず関わる。だったらその人を殺せば妖夷はなくなるのか。身分や貧困や偏見は人が造ったモノだ。ならそれも、人を殺すとなくなるのか。・・俺たちの役目は人殺しなのか。ココじゃないどこかを求める心・・・・オレには裁けない。出来ることは・・妖夷を倒すことだけだ。」