■ベルカ、吠えないのか?s古川日出男

2005年4月刊

昨年は、ここ10年で、まったく本を読まない一年だった。読んでない本が山積みでどうしたらいいんだ。で、その山積みをなんとかする努力。


○非常に、古川日出男らしい一作。古川日出男の特質として、妄想ファンタジー(ひょっとしたら、作者としての意識は違うかもしれないけど、きちんとした世界を設定・構想した構造物というよりは、のりと勢いに任せて、時に表面的なエピソード、特に不要に詳細なデティールを執拗に書いている(様に見える)ので、わたしは勝手に、妄想文学だなとおもってます。悪い意味ではなく。)と、読んでいるとドライブがかかってくる、詩的でリズミカルな文章の二本柱があると、ワタクシは思ってます。
この作品は、この両者が響きあったならではの作品に仕上がっているかなと、思いマシタ。


○この作品での古川さんの妄想は、「犬の系譜」と「世界の歴史」のリンク。
第二次世界大戦、日本軍の1943年アッツ島の玉砕のあと、日本軍のキスカ島の撤収が行なわれた時に、島に取り残された3頭の軍用犬から始まる血の系譜の物語。
軍用犬として血縁をつなぐもの、、橇犬として北の大地を駆け巡る系譜には狼の血が混じり、観賞用の犬としてブリーダーの垂涎の的となった犬はブリーダーの逮捕で思いもかけぬ転落を味わう。
そして、わずか1年で次世代を生み育てるかれらにとって、1943年から1991年までのリーチははてしなく長い。だけど、彼らの運命は奇妙に交差し、血は混じりあい、運命的な別離と邂逅を繰り返す。


この物語で肝心なのは、犬たちがドラマティックな邂逅を果たしていても、ほとんどそれがいかに劇的で運命的なのか、犬たちが意識できない点。
そこに淡々とした事実の羅列が歴史なんだなという感慨が生まれてきます。そして、淡々とした日常の背後にあるかもしれないドラマテックな血の歴史を想像力たくましくして思うことが大事なのではないかと。
古川さんは、ある意味、神の視点の補助線を引いています。ずるい作劇だな〜とわたしは思ってしまったけど、犬たちの健気さと歴史からの翻弄を淡々と表現するためには仕方がないじゃないですか。


○さて、気になるのは、犬たちの系譜を見つめる視点。
「何事にも縛られない自由な犬たち」「人間の庇護下で人間に翻弄されざるを得ない犬たち」という二つの極端な像があるとすれば、この物語は後者について。われわれ人間もまた・・・・と接続するのでしょうか。


その視線にちょっと違和感を感じたのは、犬紀元0年の話。ロシアのスプートニク2号で打ち上げられ、地球に帰ることも最初から想定されていなかったライカ犬の視線を空に感じる犬たち・・・・・・・・ってのは、人間の手のひらで踊らざるを得ない犬たちって感じがして、だからこそ「犬紀元」としてしまうのに抵抗がアリマシタ。犬たちも抵抗があるのじゃないかしら。


○そして、沖縄、ベトナム戦争、コロンビアの麻薬戦争、南太平洋の帆船での死の横断、アフガニスタン侵攻と撤退に立ち会った犬たちの系譜の結節点は・・・・・とくると、それがロシアの崩壊なんだな。
ペレストロイカに続く、ソ連軍と秩序の崩壊のなかに、(老人の妄念に付き合って)雄雄しく戦いそして消えていった犬たち。


生き残ったのは、ベルカの名を継いだイヌと、人間であり犬でありストレルカの名を継いだ異形の少女と老婆。彼らは、アリューシャン列島のあの島々で、海の向こうのイヌの理想郷を夢想する・・・・・・・
しかし、そんな理想郷などない。20世紀に翻弄された犬たちも人間たちも、そんな絶望の21世紀に生きるのだ。


「犬よ、犬よ、お前たちはどこにいる」「うぉん」に象徴的な、詩的な、夢を見るような、語り口は、とっつき難いけど、古川さんの最大の魅力。


○ちなみに、ベルカとストレルカは、1960年、犬紀元3年に、スプートニク5号で、宇宙空間に行き、生還したソビエトの英雄犬。
この物語の柱になるソヴィエト軍人の老人のエピソードでは、代々リーダー犬にベルカと名づけるのでした。