■機動戦士Zガンダム-星を継ぐ者s&c&d富野由悠季Cg恩田尚之Mg仲盛文

○DVDにて。
おもしろかった。前半をよくまとめていると思います。
ただし、これ、わたくしみたいに、リアルタイムでゼータ見て非常に思い入れがあり、かつ、最近テレビシリーズ全話を見ていたりして、事前に入念に背景設定を仕入れていないとたぶん劇中で何が行われているかわからないと思うのです。
最近のターンエーもそうだったけど、富野さんの映画はいつもこうだ。一般人はつけいるすきもない。もったいない。


○さて、冒頭の木星からカメラが出発し、火星を経て、地球と月と、そして、ジオン兵士の宇宙を漂う死体のシークエンスは、「かってこの中にあったかもしれない魂が、神の国にたどり着くことはないだろう」と昔だったらやってしまうところだけど、ここにわずかに被さるナレーションはずいぶんわかりやすくなっていて、富野さん(多少)変わったなとおもいました。
でも、富野さんの作品で、昔から不満に思っているのが、冒頭での状況説明を一切しないこと。
普通だったら、前作から現在までの政治的背景とか、世界構造とか、これから始まる物語の簡単な説明を、かっこいいCGでみせると思うんだけどなあ。
残念だけど、それがないと普通の人はきっと理解できないよ、この物語。
これは昔から一貫していて、富野さんのポリシィなんでしょうか。


○本編に入るといきなり不安に陥れられます。
冒頭の、グリーンノアへのクワトロさんの潜入シーンは、全旧作画、しかもカットのつなぎが非常にテンポがわるく、トミノ老いたりと、正直アタマ抱えました。
○でもその後の、ティターンズがらみの、カミーユのオヤコどろどろのエピソードが、TVシリーズに比べて補完してあり、非常に話がわかりやすくなっていてよかったです。
異様に充実した新作画もくわわって、ああ、見てよかったと思いました。(一体だれが、カミーユの父母とか、バスク・オムとか、ジャマイカンとか、カクリコンの充実した新作画を見たいとおもうでしょうか!この辺の力の入れ方をまちがっているところがすばらしい。普通ならアムロ邸のフラウとか、もっと力入れて作画してあげようよ、あんなおばさんじゃあんまりだよみたいな。)
これが、メインに来ているあたりが、トミノ監督らしいですよね。


○しかし、エピソード圧縮の技(TVシリーズの3つか4つのエピソードをたった1回の戦闘に圧縮したり)が利きすぎて、スピード感はともかく、非常にいびつなカンジになっているとおもいました。


Zの、登場人物と政治勢力がむやみに多いという、物語構造上、仕方がないとはいえ、もっと大胆に、登場人物絞って、行動の動機をシンプルにして、大鉈をふるわないと、映画としては成立できないです。
とりあえず、取捨選択せず、全要素をつっこむという、最近のトミノ氏の映画版のわるいところがすべて出ているカンジだと思いました。
思えば、ガンダム三部作の映画的成立は奇跡のようなカンジにうまくいっていたと思います。


○富野監督の意向で、すぐキレるトゲトゲした主人公という、わたしの一番すきな要素が、物語の柱から薄まっているというのは確かみたいなので、余計キツイカンジですよ。
この映画みて、カミーユが主人公に見えないし。これが一番問題かも。たとえ群像劇であっても、柱はカミーユでつながないと単なるダイジェストになってしまうんじゃ・・・・


たとえば、マーク2で、兵隊を脅していたりする部分はカットされていないのですが、この主人公はこういう奴だ!というつかみの説明としては非常にたりない気がした。


カミーユ?女の名だな」というくだりは、劇中ジェリドがカミーユのことを思い出す場面で説明的にでてくるんだけど、TVシリーズでは、物語のゆがみの始まりはここだった。
しかし、カミーユの物語、性格、を象徴するにあたり、このエピソードはTVシリーズからして、唐突で説明不足で失敗しているとおもうので、従来とはまったくちがう発端を挿入することだってよかったんじゃないですか。


しかも、この後カミーユが、ドラマ的に周りの人物と葛藤するところが非常に少なく、素直になっちゃっていて、なおさら冒頭の軍人さんを脅す場面が浮いているのではないかと。


○また、グリーンノアから、地球圏へ至る間に、TVシリーズでは何度か戦闘があり、そのなかでカミーユがMS乗りとしての才能を徐々に見せてくる展開だったのですが、これをたった一回に圧縮。その編集手腕はかうのですが、カミーユにいきなり大気圏突入での戦闘を任せる理由があんまりたたず、非常に決まり悪い感じがしました。その辺を富野さんも感じていたらしく、レコアさんに「エウーゴは人手がたりないんだから、あなたもすぐMS戦にかりだされるわよ」と言わせているんですがねぇ。


○後半は、アムロの物語が突出してくるし、ドラマ的にカミーユの見せ場はほとんどなし。ほんとに主人公か?と思えるほど存在感がない。ただ、カメラがかれによりそっているだけのような気が。


○しかし、旧作画キツイです。特にキャラクター作画。使っている所が、あまり出来のいい回じゃない部分が非常に多かったので余計にそうです。(北爪作画がほとんど見えなかったような気がするのですが気のせい??)

キャラクターの新作パートが異常に出来が良くて、フォルムと動きが劇場クオリティなだけに、違和感がものすごい。(その一番目立ったのが、アムロ邸のフラウの作画。カットによって、おばさんとおねえさんを行ったり来たりで、非常に気になった。)



○何はともあれ、アッシマーとか、新作メカ戦部分がキワメテすばらしいので、それだけでも満足。何かが始まる感じが、非常にドライブかかったカンジで味わえるのではないかな。


○ところで、いろいろ評判を仄聞すると、第二部がこれに輪をかけた状況になっているらしい。
TVシリーズを見ていると香港編の直前までは非常に話を練って進めている感じがしていたので、なんか納得。富野さんのこの頃のテレビシリーズを見ていると、前半は話が良く出来て居るんだけど、後半は崩れるのがよくわかります。それがまた面白いんだけど。


ちなみに、わたしが大好きなゼータは後半にはいってから。
毎回のように、クワトロさんとかカミーユとかが、物語の終わりで苦渋にみちた反省会をやっているのが大好きだったし、口先だけの無能なジェリドの悲哀が堪らない。
シロッコ(この映画、なんか声がヘンだったけどオリジナルの人がこうなっちゃたの?)のヘンに含みを持たせたインチキ臭い自信に満ちた言動も好きだったし、そこに走ったレコアさんも富野さんらしいナマナマしさで、よかった。(ヤザンはちょっとうざかった。)
シャアの無能ぶり(ハマーンの持ち船でのミネバ様への謁見とかで見せた無能さは伊達じゃないですよ)とか、カツがかなり意味なく死んじゃうのに富野さんの作家性をみたりしていた。皆殺しもしかり。
そういった「ネガティブ物語」の集大成として、カミーユの精神崩壊は、もうテレビシリーズの超能力合戦みたいな演出を無かったことにして、勝手に脳内補完してましたよ。
(最近見直してみて、40話ぐらいからカミーユがヘンに物わかり良くなっているのは、やっぱり伏線だなあと思いました。毎回のように人が死んでいく展開によって、カミーユがおかしくなっていく様をもっとキチンと描いていれば大傑作だったんだけどなあ。なんにせよ後半の脚本は、二人だけで執筆していたのだけども、ふたりともあまりいい脚本書いてくれなかったのが残念。)
そういった大変重要な要素を排除したといっている第二部、第三部が著しく不安。カミーユの精神崩壊がなかったら、ゼータじゃないですよ!